私は、その川沿いの落葉松の並木道を散歩するのを日課にしていた。小さな川に沿って、痩せた田圃が広がる高原の谷沿いの道に、ところどころ生えている落葉松の林は、自然の散歩道の風情を見せていた。秋が深まるにつれて木々は黄葉し、茶色になって、やがてすっかり裸の潔い清々しい林になる。木々の隙間から青空が見えて、その青空と雲と梢の幾何学模様が生み出す不思議な幻想が、私をどこかファンタジーの世界に誘う。私はいつも空想しながらこの道を歩く。ヒースの痩せた草原が北イングランドの小説の舞台なら、この痩せた落葉松の林は、この国の高原の格好な小説の舞台になるはずだ。風景はなぜか、さびしい方が小説の舞台になりやすい。自然の厳しさが、小説に緊張感を与えるのだろう。
私は川に降りてみようとしたが、川原には蒲の枯草が水に浸かって足場をなくしていて、私はあきらめて谷沿いの道に戻った。向うから、短い外套を来た紳士が煙草を吸いながらうつむいてやってくる。S先生だ。何か考えごとをしている。それを停めていいものかどうか迷ったが、私は思い切って声をかけた。
「S先生」
先生は顔を上げて私の顔をまじまじと見た。
「ああ、誰かと思ったら中尾君か。いや、今すっかり考え事をしていてね。あれ、ここはどこだろう?川沿いの畦道を歩いていたらいつのまにか来たこともないところまで来てしまったぞ。」
「ご案内しましょうか」
「そうか、ありがとう。私はもともとこのあたりは不案内でな。なのにこんなところまできてしまってどうしたらいいかと思っていたんだ。」
「ここは、考えごとをするにはいい道ですね。」
「そうだな」
先生ははじめて気がついたようにあたりを眺めた。
「なるほど、いい具合に落葉松が生えていて、景色にアクセントをつけている。薄い日の陰も微妙に強さが変わって、気がつかないうちに考え方に微妙な強弱をつけていたようだ。確かに考えるのにはいい道のようだ。」
「ギリシャには逍遥学派というのがあったそうですが、先生はまさにその後継者ですね。」
「アリストテレスか。カントも散歩好きだった。カリーニングラードにいったとき、カントの歩いた道を私も歩いてみたことがある。すっかり風景は変わっていたが、カントの気持ちは少しわかる気がした。」
「カントもそうだったそうですが、先生もお喋りが好きですね。」
「そうだな。散歩するのと、対話するのが考えを進ませるのだ。対話で考えを進めるのはソクラテス以来の伝統だな。私は家で一人でじっとしていても大して考えは進まないが、こうして散歩しながら君のような人と話をしていると、考え方が化学反応をおこしていくのがよく分る。私たちはソクラテスの後継者でもあり、アリストテレスの後継者でもあるわけだ。」
「散歩しながらおしゃべりしているだけなのに、すごいことになってますね。」
「真実は時としてこういう軽口の中から生まれるものだからな。」