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20100203-4

「死ぬってどんなこと?」
「死んだことがないから分らない」
「嘘」
「ああ、実は一度だけ」
「死んだことあるの?」
「死にそうになったことは」
「何だつまらない」
「死んだら驚いた」
「死んだことあるの?」
「って丹波哲郎が言った」
「本当に死んじゃったわね」
「人はいつかは死ぬさ。死ななかった人は今まで誰もいない」
「まだ死んでない人はまだ死んでないわ」
「でもいつかは死ぬ。これは確率100パーセントの銀行レースだ」
「銀行レースだって外れることあるもの。まだ死んでない人の中に、もう死なない人もいるかもしれない。」
「確かにね。でも200年たったら多分今生きてる人はみんな死んでるよ。」
「200年後じゃ確かめようがないわね」
「そう。確かに、死ななくてもみんな死んだと思っているのかもしれない。昔木花咲耶姫と岩長姫がニニギノミコトに嫁入りしようとしたとき、咲耶姫は妻となったけど岩長姫は返された。それから人は、岩のように長い寿命を得ることができなくなったという。だから今でも、岩長姫の一族はずっと生きているのかもしれない、人知れず。」
「でもその人たちは人間かしら」
「われわれが知っているような人間とは違うものだろうね」
「いつまでも生き続けるってどんな気持ちかしら」
「しかし人が美しいのは、やがて滅びていくからだ。いつまでも滅びないものは崇高さはあるが、人と同じ意味での美しさはない。」
「アボリジニやネイティブアメリカンの化粧には、岩と同化して岩の命を得ようとする文様があるわね」
「花の美しさはやがて失われる。だから、花よりも岩がいいと思った人たちがいたとしてもおかしくはない。だけど、花のように美しかろうとなかろうと、岩と同じだけの命を得た人は、他の人間に知られている限りは一人もいないんだ」
「中国には800年生きた人がいるというし、アダムも1000歳まで生きたわ。」
「そのころの人間は神に近いと思われていたのだろう。武内宿禰とかもそうだ。欠史八代の天皇はみな数百年の寿命だったとされている。」
「本当に生きたのかしら。」
「難しい問題だね。ただ観念を反映しているだけなのか、何らかの事実を反映しているのか」
「事実を反映していると思ったほうが面白いわ」
「でもそこから、事実と妄想の混同が始まる」
 彼女はちょっとしょげたようだった。
「そうね、私の妄想が始まったのも、そんな話からだったわ。」

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2010年02月03日 15:46に投稿されたエントリーのページです。

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