私はその2月のめずらしく雪の降った日の朝、品川駅の新幹線ホームで初めて会う男を待っていた。彼はネットで知り合った友人で、言葉だけのやり取りながらお互いに話の分かるやつと認め合い、ぜひ一度あって話をしようとこの日この場所で待ち合わせをしていたのだ。しかしいつまで経っても彼は現れず、痺れを切らしているところにひとりの女が話しかけてきた。女は牛乳瓶の底のような眼鏡をかけ、おさげの髪を首筋で二つにまとめて結わえた、今どきいるのかと思うような若い女だった。
「あの」
「なんでしょう」
「誰か、お待ちですか」
「はい」
「杉山、昇平さん?」
「え?」
どうしてぼくの名を、と言いかけたとき、彼女が言った。
「山田邦弘は来ません」
「え?」
寝耳に水だ。
「あなたは、山田君の・・・」
女はもじもじしている。
「妹さん・・・それとも奥さんですか?」
「ええと・・・」
女は冷や汗をかき始めたようだった。私は不審に思って尋ねた。
「どういうご関係なんですか、あなたと山田君は。」
女はまだもじもじしている。
「私は、彼と会うために九州から新幹線で出てきたんですよ。それを・・・」
「存じてます。」
「なぜあなたが?」
女はついに、決心したようだった。
「山田邦弘はいません」
「は?」
「私が、山田邦弘を名乗って、書き込んでいたんです。」
「何ですって?」
私は驚いた。山田は、そんじょそこらのネットおたくではない。該博な知識、緻密な立論、鋭い着眼点、そして筋の通った意見。私は彼の意見に耳を傾け、いつも感心していた。そして彼のフェミニズムに対する強い批判や、自衛隊の合憲化に対する熱意には、一目置くところがあったのだ。
「あなたが、山田君だったんですか?」
「はい、そうかもしれません。でもそうではないかもしれません。」
「どういうことです?」
「私は、パソコンに向かうと人が変わるんです。普段では思いつかないような意見がすらすらと出てくるんです。あなたの意見、私の書き込みを受けていつもすごい論理を展開して、常々感心してました。だから一度お会いしたくて、でも、すみません。こんなことになってしまって・・・」
私は面食らったが、そんなことはどうでもいいと思った。
「いや、驚きましたが、そんなことはどうだって言い。まさか女性だとは思いませんでしたが、お会いできて嬉しいです。」
私は手を差し出した。彼女は控えめに手を出し、控えめに手を握った。
「せっかくですから、どこかでお話しましょう。どこかご存知ですか。」
「私、いつも引きこもっているので、そういうところは全然知らないんです。」
私は辺りを見回した。駅のそばに、大きなホテルが建っているのが目には行った。
「それでは、あのホテルのラウンジに行きましょう。確か一度、出張できたことがあります。きれいな広い、余り込んでいないラウンジでした。ゆっくりお話が出来るでしょう。」
彼女は真っ赤になって頷いた。