本探し.netTOP >本を読む生活TOP >著者名索引 >カテゴリ別索引 >読書案内(ブログ)

楠精一郎『大政翼賛会に抗した40人』

大政翼賛会に抗した40人―自民党源流の代議士たち

朝日新聞社

このアイテムの詳細を見る

八重洲地下街を抜けて中央通りに出、丸善の日本橋店にも寄る。楠精一郎『大政翼賛会に抗した40人 自民党源流の代議士たち』(朝日新聞社、2006)を購入。そのまま帰宅。

『大政翼賛会に抗した40人』は戦時中に同交会に属した議員たちについての論考で、戦前と戦後の政党政治の継続性について見失われがちなところをよく描いていると思う。まだ読みかけなので最終的な評価は出来ないが、いままでのところでは『鳩山一郎・薫日記』からの引用が多く、これは私も持っているので、照らし合わせながら読んでいると、議員たちの目から見た大東亜戦争がどのようなものか、理解しやすいように思う。

東京裁判史観に対抗するためには軍事的な側面からだけではなく、抗した政党政治の側面、その継続性などについて考察していくのは意味のあることだと思う。多くの外国人は戦前に日本で政党政治が行われていたこと自体を認識せずに日本を野蛮な国家だと論難する傾向も強いので、野蛮性というよりシステムの不具合が戦争に至った日本側の大きな要因であるということをはっきりさせていくべきだと思う。そのためには、システムがきちんと動いていたこと、そして戦争中もそのシステムが完全に動かなくなってはいなかったこと(ワイマール憲法と違い、帝国憲法は戦争中も停止されることはなかったし、議会も存在が否定されることはなかった)をはっきりさせておくことは重要だと思う。 (7.16.)

帰りの特急の中では楠精一郎『大政翼賛会に抗した40人』(朝日選書、2006)を読み、読了。大政翼賛会というと一般の印象がどうなのか、この時代に入り込んでいるとよくわからなくなっているのだが、やはりナチスのような独裁的な一党支配の組織だと考えられているのだろうか。実際にはそういうものだと観念されて政党がすべて解党したのだが結局は「公事結社」ということになり政治活動が禁止されることになったというかなり間抜けな組織である。綱領発表等も近衛文麿に一任されたのだが近衛は結成の目的は「臣道実践」のみだ、というはなはだ漠然としたもので、いわゆる精神右翼から国家社会主義者、あるいは社会大衆党系の社会主義者まで、つまり右から左までのそれぞれの漠然とした期待からはかなり遠いものだった。それに関してこの本があまりよく書けているとはいえないが、翼賛議員同盟や大日本政治会といったほとんどの議員が所属したまさに政府に対して「翼賛」的傾向の強い議員たちとは一線を画し、議会人としての独自性を固守する立場を取った人たちが参加した「同交会」という院内団体についての研究である。

この昭和16年から17年にかけて存在した「同交会」のメンバーは昭和17年に実施された翼賛選挙、つまり東條内閣による推薦選挙で非推薦となった議員が多く、また逆に非推薦で当選した89人の議員のうちのかなりの部分を占めた。(ちなみに戦後街頭活動で知られた赤尾敏も東條内閣に反抗し非推薦で当選した人物である。彼は反共の立場から英米との提携を主張していた。)昭和17年といえば大東亜戦争緒戦の勝ちいくさに湧いていた時期であり、そのような時期に行われた選挙でそれだけの非推薦の当選者を出すという日本国民のバランス感覚というものも侮れないものがあると思う。このあたりのことは以前古川隆久『戦時議会』(吉川弘文館、2001)を読んである程度知識はあったのだが、『大政翼賛会に…』はその時期の同交会の議員たちのケーススタディーと言うべき作品である。まだまだこの辺の研究は不十分であると思うが、「戦後」もまた歴史の一ページになりつつある現在、戦前に胚胎した「戦後」の源流として研究の進展が望まれる分野ではある。

同交会37名のうち私が初めて知った議員もかなりいるが、主な議員を幾人かあげると、芦田均(戦後に首相、日本国憲法九条二項の「芦田修正」で知られる)、大野伴睦(戦後に衆院議長、自民党副総裁、保守合同に活躍、親分肌の人情家として知られる)、尾崎行雄(大正政変以来の「憲政の神様」)、片山哲(戦後社会党結成、首相、クリスチャン)、川崎克(戦時中に松尾芭蕉の記念館を建設した文人政治家)、北ヤ吉(北一輝の弟、226直前の選挙で初当選)、鈴木文治(日本の労働組合運動の父の一人)、世耕弘一(陸軍が戦後決戦に備えて備蓄し戦後引退蔵された物資を摘発する「世耕機関」の責任者)、鳩山一郎(戦後首相、日ソ共同声明、日本の国連加盟実現、吉田茂とのライバル関係で知られる)、林譲治(戦後衆院議長、吉田派の中心として活躍)らがいる。

こうして一覧してみるとわかるが、戦後政治で重要なポジションについた人々の多くが同交会に所属していており、戦中戦後を通じての議会政治の伝統が彼らによって守られた、というのが著者の主張である。まさに尾崎行雄と鳩山一郎が同じ少数会派に属したというのはその連続性を言っていいだろう。戦後は鳩山一郎の公職追放により政権についた吉田茂が彼らたたき上げの政党政治家(党人派)を嫌い、官僚を一本釣りして側近を固めていった(池田勇人、佐藤栄作ら)ために官僚人脈と党人派が戦後の保守政治家の二大潮流となったが、三角大福中の時代、つまり1970-80年代まではこの種別も相当の意味があった。90年代に入ると宮沢喜一を最後に官僚出身の首相が出なくなったのでやはり93年の自民党下野は大きな政治の潮流変化だったなと思う。「国民的人気」が支えのポピュリズム的傾向が強くなり、小泉政権誕生でそれが炸裂した。経歴よりも政治家の個性の時代である。いろいろな意味で、戦後政治は「総決算」されつつある。戦中戦後の政治の展開に興味のある方にはお勧めである。ただ連載ものであった関係上、章が短くぶつぎれになっていて読みにくいのは瑕疵ではある。それにしても、憲法云々で空理空論を並べ立てている人々には、とにかくその時代の実情を知ってもらうためにこういう本を読んでいただきたいものだとは思う。(7.22.)

  

トップへ