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谷崎潤一郎『少将滋幹の母』

少将滋幹の母

中央公論新社

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銀座を歩き、旭屋書店へ。文学のコーナーはもう少し本があるといいなと思いながら、経済書のところを見ると企画書の書き方、実例集みたいな本が花盛り。「企画書の書き方」自体が商売になるというところが現代なんだなと思う。なんとなく文庫のコーナーで谷崎潤一郎『少将滋幹の母』(新潮文庫)を買う。小倉遊亀の挿絵がキュート。平中が振られるエピソードではじまるんだなこの本は。「せめて見たという二字でも返事を」、という懸想文にその手紙の「見た」という二字を切り取って送るという極北の冷たさ。もちろん有名な話なんだが、平安時代の日本人は相当意地が悪そうだ。業平と同時代なんだよなあ、これで。(3.28.)

谷崎潤一郎『少将滋幹の母』を読んだが、これも読了。平中の滑稽談に始まり、時平が叔父国経の北の方を強奪する話につながり、妻を奪われて苦悩する国経の「不浄観」というある種の地獄めぐりのような話になり、最後は40の後、国経と奪われた妻の子、滋幹が母を慕い、再会を果たす話で大団円となる。これを亀井勝一郎や正宗白鳥は谷崎の最高傑作と推しているのだが、むむ、と思う。

確かに叙述の曖昧模糊とした中から夢のように現実が現れるさまの描写などは余人の追随を許すものではないなと思う。小倉遊亀の挿絵もすばらしい。存在しない「種本」を勝手に作ってそれにしたがって記述するというやり方も作り話の王道という感じである。「なるたけ史実の尊厳を冒さないようにしながら、記録の不備な隙間を求めて自分の世界を繰り広げようと思ふ」という姿勢も、まさに歴史小説の鑑ともいうべきで、いうことはない。

なんというのか、おそらく私が不満なのは、登場人物の誰にもまったく思い入れが出来ないところにあるのだろう。一番思い入れが出来そうなのは一番けしからん時平である。これは解説の千葉俊二の指摘だが、他人の妻を強奪した谷崎自身が時平に共感し、彼を躍動的に、暴力的な男性的エロチシズムみなぎる存在として描いているという指摘には思わず手を拍った。その時平も菅公の御霊に取り殺され、関係者の男たちは皆死に絶え、残るのは幼児であった滋幹と美しい母だけとなる。そこに残るのは、すでに意志ではなく、幻想的な美のみである。

まあそんなふうに書いてみると、確かにこの小説の仕掛けはたいしたもの、というより私などには想像もつかないものだったなと思う。この作品の結構は、絵巻物のようなもので、少しはなれて全体を見渡して部分が構成するそれぞれの美しさや凄惨さを味あわなければならないものなのだなと思う。少し人生とかそういうものに突っ込んだ話題のできる茶席などにかける一幅の絵とでも言うべきものだろうか。そのように考えると谷崎という絵師は相当な腕前だなと唸らされることになる。小説にはいろいろな読み方があり、読者の読み取り能力にあわせてあらん限りの工夫がなされているのだなと改めて思わされる。やはり傑作なのだろうと思う。私にはまだ完全には得心がいったとはいえないが。(3.31.)

  

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