本探し.netTOP >本を読む生活TOP >著者名索引 >カテゴリ別索引 >読書案内(ブログ)

吉田満『戦艦大和ノ最期』

戦艦大和ノ最期

講談社

このアイテムの詳細を見る

教文館で本を物色し、コロナブックス『古裂(こぎれ)を楽しむ』(平凡社)と吉田満『戦艦大和ノ最期』(講談社文芸文庫)を購入。6階のカフェに上ったら結構こんでいたが、二人がけの席に座ってレモンティーとトラピストガレットを注文。『古裂を楽しむ』に目を通す。(2005.7.19.)

『戦艦大和ノ最期』はまだ戦闘シーンに入ったところ。その迫力はすごい。それまでの場面で一人一人の個性を描写されていた戦友が次々と戦死していくさまは壮絶というしかない。米軍航空部隊の第一波の攻撃が終わり、第二波が始まったところだが、まだこの作品の半分なのだ。後の描写はいったいどういうことが続くのか。作者の吉田満は後書きで、終戦直後にほとんど一日で書き上げたといっている。漢字カタカナ混じり、専門用語も多く読みにくいということもあるが、いちいちその場面を受け止めながら読むと相当時間がかかりそうだ。

陸軍の戦闘というのはまだ想像がつくような気がするが、海軍の戦闘というのはまた少し違う感じだ。子供のころ読んだケネディが海軍にいたとき日本海軍にやられて漂流した話などくらいしか覚えがない。後は今連載している『日露戦争物語』の中の日清戦争の黄海海戦の場面だろうか。ただ、江川達也の絵はそういう意味では想像の膨らみにくい絵で、吉田満の描写の方がリアリティを感じる。仕方のないことだが、江川の方は作り過ぎと言う感じがする。吉田の方は手記だから、そういう意味では全然違うわけだが。(7.22.)

『戦艦大和ノ最期』は、大和の乗員一人一人の描写も優れているが、巨艦大和が米軍飛行隊の度重なる波状攻撃によってついに致命傷を受け、沈没していくさまがさながら叙事詩のようで、荘厳なロマンのようなものさえ感じさせる。沈没していく船の中で人々のとった行動も印象的だし、早めに逃げ出した人たちより最後まで残って沈没の際は一度海の下に沈み、しばらくたって浮上した人々のほうが助かったと言う描写も考えさせられた。沈没の際に何度も爆発を起こした大和はさまざまな巨大な残骸を海に降らせ、そのとき海上にあった人々はその直撃を受けて助からなかったと言うわけである。作者らは一度海に沈んでいるその間にそれを避け得、九死に一生を得ることができたと言う。

日本と言う国家さながらに沈没していった大和の姿に何を見るかによって、その人の戦後もまた違ったものになったのだろう。吉田満はのち日本銀行に入り、監事まで務めた。大和の乗員について書いた作品も何本かあるようだ。彼らは自ら進んでとは言わないまでも、国家の危急のときに国家のために戦うことを義務と感じ、海軍に志願して大和の海上特攻に参加し、そして帰還後も再度特攻参加を志願したが、その前に終戦となった。そうした人間も数多くいたはずだが、戦後の一変した空気の中で、そういうことを語るのは半ばタブーになっていた。21世紀になって、そのようなことをようやく冷静に語ることが出来る時代が来たように思うし、それは良いことだと思う。しかしそれよりもずっと早く、吉田は定年前になくなった。2005年現在生きていても、まだ82歳である。

***

『戦艦大和ノ最期』というのは、死を恐れない人、良く死のうと考えた人の書いた作品で、そのことがとても大きな意味を持っていると思う。敗戦によって、日本人は「良く死ぬ」という目標を失った。そのことに思いつめていた若者が、アプレゲールといわれる無軌道に堕ちていったの非常によくわかる。しかし誰もがよく死ぬということを考えていたわけではないこともまたよくわかるし、死ぬことよりも生きて変えることを第一義に考えていた人もいれば、うまくやって軍の物資を横流しし、戦後の財を築く第一歩にした人たちもまた沢山いた。戦後日本という社会はそういう人たちがメインになって作った社会であって、「よく死ぬ」ことを考えた人々は少数派であったことは間違いない。

そういう意味で、この作品はかなり特殊な立場を戦後の文学の中で持っていたことは事実だと思う。この作品を発行しようとしたのは小林秀雄で、それがGHQに止められてそれでも何とか実現できないかと当時吉田茂の側近だった白洲次郎のところに話を持ち込んだのが、白洲夫妻と小林の付き合いの始まりだった、ということは良く知っているが、かなり不本意な形ながら、何とか占領下でこの本を実現できたということは大きな意味を持っていると思う。われわれが現在読んでいるのは、独立後に原著に近い形に復活して発行されたものである。(7.24.)

  

トップへ