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白洲正子『両性具有の美』

両性具有の美

新潮社

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白洲正子『両性具有の美』。日本のホモセクシュアルは通常女性的な雰囲気や物腰を持っている人が多くホモとかゲイとか言われる人というのはそういうものかと思っていたが、ジャン・コクトーの『白書』の挿絵に見られるホモセクシュアルは二人ともまったき男らしい男性だそうで、ショックを受けたと書いている。私もその世界には疎いのでよく分からないが、ゲイバーというのに一度連れて行かれたときああこういうところにはまる人の気持ちはわかるなあと思った。肉体的にはちょっと理解を超えているが、そこでなされた会話は他ではちょっとできないような知性と感受性を感じさせるものだった。少年美、とか稚児、というものは日本でも森蘭丸をあげるまでもなく珍しいものではなかったが、ごつい男同士の愛というのはどうなのだろう。日本にはカップル文化がなく飲み屋やレストランでも軽ホモや軽レズで溢れている、と書いていたのは酒井順子だと思ったが、この愛の深さは尋常ではない、と思う人たちは男同士でも時々見る。そこに肉体関係があるかどうかは多分もう第三者にはどうでもいいことだが。

大伴家持が藤原久須麿に送った相聞歌の話もなるほどそういうものもあったのだろうなと感心したが、万葉集や勅撰集に入っているもののなかにも男同士のものがあったとしても確かに不思議ではない気がする。久須麿は仲麻呂、すなわち恵美押勝の次男だそうだが、仲麻呂の乱の過程で死んでいるらしい。悪左府といわれた藤原頼長が男色家であったというのはよく知られた話だと思うが、家持は知らなかった。まあこれは白洲の独自の見解かもしれないが。

そういえば三島由紀夫の男色というのはどう考えてもごつい男同士の愛だろうな。彼の場合相当意識的というかどこまで自然な感情なのかわかりかねる部分も多いが、日本的なものに惹かれながらかなり西洋的な部分の強かった異形の精神の持ち主としてはうなずける気がする。(2004.3.13.)

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