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フィッツジェラルド・村上春樹訳『マイ・ロスト・シティー』
マイ・ロスト・シティー―フィッツジェラルド作品集 (1981年)中央公論社このアイテムの詳細を見る
地元の古本屋で100円の棚を探し、フィッツジェラルド・村上春樹訳『マイ・ロスト・シティー』(中央公論社、1981)とル・クレジオ『海を見たことがなかった少年』(集英社、1988)を買う。これで200円なら掘り出し物だろう。[※写真は改訳された新版、以下の書評は初版についてのもの。](9.12.)
うちに帰ってきて、本棚にあった村上春樹訳・フィッツジェラルド作品集『マイ・ロスト・シティー』(中央公論社、1981)を読み始める。これは以前買ってあったのだが途中で投げ出したものだ。しかし『ギャツビー』を読み終えた今となっては以前とは全然違う気持ちで読める。いや、読まなければならないというものを感じる。いろいろ調べてみたら、この作品は村上の最初の翻訳作品らしい。いろいろと評価も分かれていて、今年改訳したものも出版されているようだ。しかし、村上の記念すべき翻訳第一冊目、というのもそれはそれで意味のあるものだろう。25年前の訳。私は19歳だった。今は。嗚呼。
最初に「フィッツジェラルド体験」という村上のエッセイがある。25年後に書かれた『ギャツビー』の「あとがき」の文章と微妙に感触が異なるのが興味深い。彼にとってのフィッツジェラルドは、大きい存在であり続けたという点で変わりはないが、その意味するところは微妙に変化しているような気がする。その分だけ、彼の中で消化されて行ったということなのだろうと思うが。
フィッツジェラルドは、いつも自分が二流の作家なのではないかという不安に怯えていた。それは自分をヘミングウェイに比較していたからだ。ヘミングウェイと自分のことをフィッツジェラルドはこういう。「アーネストは牡牛で、僕は蝶だ。蝶は美しい。しかし牡牛は実在する。」フィッツジェラルドという作家の「軽さ」については多くの評者が指摘してきたし、私も『ギャツビー』を読破するまではそう思っていた。
しかし『ギャツビー』を読み終えた今思うのは、そうした「重さ」とか「軽さ」ということが、いったい何の意味を、何の価値を持つのだろうということだ。ジョン・レノンは重く、ポール・マッカートニーは軽い。だから私たちの世代の多くの人たちはジョン・レノンを重んじ、ポール・マッカートニーを軽く見た。あの当時から私はそういう風潮に反発し、ポールを強く支持してきたものだが、しかしいつの間にか重いものをよしとする風潮に囚われていた部分も強くあったのだなあと思う。
ヘミングウェイとフィッツジェラルドも同じことだ。ヘミングウェイの重さは時代的に今色褪せつつあるというのもあるけれども、本質的にそんなに魅かれるものがない。フィッツジェラルドは、そしてポール・マッカートニーも、私は軽いとは基本的に感じない。感じるのは深さだ。ヘミングウェイの重さのほうに、むしろ底の浅さを感じるというと、おそらくは読書体験が十分とはいえないから言い過ぎなんだろうと思うけれども、ただフィッツジェラルドのような感覚の中に内包された本質的な「遠いところまで届く」感覚を、ヘミングウェイは持ってはいなかったような気がする。その「遠いところまで届く」感覚こそが、私にとっては多分一番大切なものなので、それがない作家にはあんまり魅かれるものがないということなのだろうと思う。それは、私がプーシキンには引かれ、ドストエフスキーには魅かれないのと同じことなのだろうと思う。
ただもちろん軽ければそういう感覚を持っているとはいえないわけで、そのあたりはやはり読んで見なければどうしようもない。そこを読む気にさせてくれたという点で、やはり村上には非常に感謝している。村上自身には、私はそんなにそういう感覚は感じなのだが、ただ何かそのあたりとクロスする感じのものがある。考え方は全然違うのに彼の作品を面白く思うのは、そういう部分があるからなんだろうと思う。
「彼の心にはいつも充たされぬ思いが残っていた。」と村上は書く。「『ギャッツビイ(ママ―引用者注)』は良い小説だ、でもそれはただの『立派な作品』(トゥール・ド・フォース)に過ぎないじゃないか、という疑問に彼は苦しめられた。僕が書きたいのは『信仰の告白』(コンフェッション・オブ・フェイス)なんだ。」
私は、『ギャツビー』に感じるのは鎮魂であり、祈りであったから、このフィッツジェラルドの言には意外なものを感じた。多分、この小説は、作者の意図するところより遠くまで届いているのだ。そしてそれこそが名作が作者を超えて存在する由縁なのだが、そのことに作者のフィッツジェラルドも訳者の村上も気がついていないように思われてならない。この作品は、フィッツジェラルドの言う『信仰の告白』そのものなのではないかと思う。あなたはそれを立派にやり遂げた、と私はいいたくてならない。
しかし村上はこう続ける。「信仰の告白……、それは決して一流の作家が目指すものではない。」と。この言は信仰を持たない世代の浅薄さ、というようにしか私には感じられないのだが、このあとの作品である『夜はやさし』が「信仰の告白」の成果である、と村上はいい、そしてそれをいずれ彼は訳すだろうという話もあるから、それをまた期待したいと思っている。
世界をありのままで愛するのか、世界の変わっていくべき未来を愛するのか。私はどちらかといえばありのままで愛することを選択する方なので、おそらくはそのせいで「軽い」ものが好きなんだろうと思う。変革につきものの「意志」を、それ自体では必ずしも素晴らしいとは思わない。ただそれを持った人間を美しいと感じる部分はもちろん私にもあり、それがその人間のほかの部分から醸し出される品とかさわやかさと重なったとき、多分私はその人間を好ましく思うだろうと思う。しかしそれは、それもまたありのままの世界の一部であるからなのだと思う。
いろいろ書いたが、まだ要するに前書きしか読んでいないのだ。ただただ私の多弁な症状が出ているに過ぎない。(12.11.)
特急の中ではフィッツジェラルド・村上春樹訳『マイ・ロスト・シティー』(中央公論社、1981)を読む。村上の翻訳第一作ということだが、訳文は生硬な印象がある。特に最初の『残り火』の、「事件」が起こるまでの情景描写が続くところは、おそらく翻訳自体が難しいところなのだろうと思うけれども、けっこう厳しいものがある。この本自体を近くの古本屋で買ったのはけっこう前のことなのだが、今まで読まなかったのはそういうことなんだなあと思う。
しかしひとたび「事件」が起こると、どんどんひきつけられ、その世界に入り込んでいく。『ギャツビー』を読んだときも感じたが、アメリカ的な風俗やものの考え方のようなものにどうにも違和感があるので、読みにくいところはどうしても出てくるのだが、それがそういうものとしてすんなりと受け入れられるとあまり気にならずに読める。そういう意味では、インドの作家でも南アフリカの作家でも同じことだなと思う。映画だと、『パリ、テキサス』を見たときに自動販売機の並んでいる風景がいやに日本的だと感じたし、そういうものの妙な日常性というのが見えるから少しは違うと思うのだが。
どうも今体調的なのりが悪いのでこの本について上手くコメントできない。とても気に入ってはいるのだが。またあとでもう少し回復してから書こうと思う。
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村上春樹訳のフィッツジェラルドの短編集、『マイ・ロスト・シティー』を読んでいる。これは先にも書いたが村上の最初の訳業ということで、最初に「フィッツジェラルド体験」という短いエッセイおよび簡単なフィッツジェラルドの評伝が載せられ、「残り火」「氷の宮殿」「哀しみの孔雀」「失われた三時間」「アルコールの中で」と5編の短編と「マイ・ロスト・シティー」という1編のエッセイが収録されている。今のところ、「哀しみの孔雀」まで読了した。ただ、あとの3篇がいずれも10ページあまりの小編なので、残りはもう4分の1である。
以前読み始めたとき、「残り火」の最初の情景描写が読みつづけられずに投げ出したのだが、今回はそこの「難関」を突破するとわりあいするするとその世界に入ることが出来た。読み終えて、これはある意味とてもモラル的な小説だという感想を持つ。
しかしモラルとは何だろう。モラルとは生活の形式に過ぎないのではないか、と思った。古いの新しいの、というのが、何か意味のあることだろうかと。新しいモラルが、欲望に忠実で、いわば「ナチュラル」であったとしても、その方がより価値が高いというわけではない。古いモラルが自らの欲望を妨げるので、それを変更する口実をナチュラルとか新しいという言葉に求めているに過ぎないのだろうと思う。モラルは変わる、生活が変わるのだから。しかし新しいモラルのほうがより価値があるわけではない。人は弊履のように古いモラルを捨てるけれども、新しかろうと古かろうと、よいものはよく、美しいものは美しい。そしてそうでないものは、そうでない。「残り火」に映されているモラルは、古いけれども美しく、その美しいものを描くのに、フィッツジェラルドは長けている。
訳者の村上は、そのフィッツジェラルドの古さをどうにも否定的に捕らえてはいて、その辺が賛同できないのだが、しかし一方確かにそれに引かれてもいて、そのあたりの矛盾を生きているのが村上という作家なのかもしれないとも思う。私はわりあい古くても美しいモラルの描写というものに特に留保をつけたいとは思わないが、そこに留保をつけたくなるのも世代の違いということかもしれないとも思う。
読みながら、フィッツジェラルドはいわばアメリカ文学におけるロシア文学でのプーシキンの役割を果たしているのではないかと思った。「深みがない」などと言われながらその比類のない美しさでロシア近代文学の輝ける祖になったプーシキン。プーシキンとモーツァルトが似ているとはよく言われていることだが、フィッツジェラルドもそのあたりよく似ている気がする。ロシアにおけるドストエフスキーの役割をになうのは、とりあえずヘミングウェイだろうか。そういう二元論をまた頭の中で弄ぶ。
「氷の宮殿」。なんだか身も蓋もない話だなと思う。南部人は北部では暮らせないし、北部人は南部人を理解することは出来ない。その象徴としての「氷の宮殿」というのは、美しく人工の造形の美を凝らしてはあるけれども、ひとたび歯車が狂うと恐ろしい迷宮と化してしまう、北部的な現代文明のある意味での象徴と見ることも出来る。陰鬱な北欧人が作り上げた陰鬱な北部の町。北欧人の自殺率は世界一だという話が出てきて、何だこの時代からそうだったのかと思う。こういうある意味ステロタイプな題材を実に深いものにしていくのがフィッツジェラルドは上手い。ヘミングウェイは題材自体が奇抜で喝采を呼ぶような話を書くので、フィッツジェラルドは劣等感を持っていたようだが、70−80年後の現代になってみれば題材自体の新しさの意味はなくなっているから、どこまで深いところに達しているかという問題になり、そういう意味では別の方向ではあるがフィッツジェラルドの到達したものの方が私には心ひかれるものがあるということなのだろう。以上二編はフィッツジェラルドがデビューの年、1920年に書かれたもの。悲劇を書いても基本的に明るい。アメリカの明るい時代の作品。
「哀しみの孔雀」。20年代を謳歌したトップ金融マンが転落していく1930年代。20年代の夢の時代、パリでの生活を経験した娘との二人暮し。妻は不治の病で入院し、仕事はなく、持っている農場で生産されるソーセージは不出来である。ついには親の代からの銀器などまで質入を余儀なくされ、屈辱に塗れる。死のうと決意したところで私立校から公立校に転校した娘が問題を起こしたことを知り、おそらくは娘のために生きることを弱々しく決意する。病床の妻との会話でソーセージの問題点に気づき、また娘にラテン語と数学を教えようとして全くわからなくなっていることに途方に暮れるが、男はもはや絶望はしない。
「ねえジョー、一週間のうちにはもっと出来るようになるよ」
「わかったわ、パパ」
「そろそろおやすみ」
二人の間に心の通い合う沈黙が下りた。
「おやすみなさい」と娘は言った。これは死と再生の物語なのだろう。30年代の苦境を描いたというと思い出すのはスタインバックの『怒りの葡萄』だが、あれもまあ言えばそういう物語だ。エマーソンの超越思想が反映しているというのをどこかで読んだが、フィッツジェラルドにもまたある種の信仰、ある種の祈りがある、と言っていいだろう。ふと思ったが、この小説はミラーの『セールスマンの死』とよく似ているところがある。舞台背景が同じかどうかはわからないが、「万能の父」の転落という構図は同じだ。ミラーでは子どもは男の子だが、フィッツジェラルドでは女の子で、そのあたりがフィッツジェラルドの華やぎの源泉なのだろう。
生きなければいけない。その思いがつまりは、生への祈りそのものなのだと思う。(12.12.)
フィッツジェラルド・村上春樹訳『マイ・ロスト・シティー』読了。昨日日記を書いた後に読んだのは「失われた三時間」「アルコールの中で」「マイ・ロスト・シティー」の三編。
「失われた三時間」は間違いの悲喜劇、という感じ。お互いが昔の幼い恋の残り火を抱えていて、一瞬燃え上がる。結末は苦い。だからこの作品はある意味現代文学的といえるのかもしれない。そういうところがこの時点で村上が評価したのかもしれないが、これがフィッツジェラルドの神髄かというとどうかなと思う。「アルコールの中で」はもう悲惨、絶望。これを読み終えたとき、これは「作品」なんだろうか、と思った。書かれているのは絶望のみ、のような気がする。同じことをおそらく当時の読者も思ったのではないかと言う気がする。フィッツジェラルドはプーシキンに似ている面がある、と思うけれども、この作品を読んで思い出したプーシキンの文章は、彼が妻の愛人と噂されたフランス士官に送った決闘状である。混乱した頭脳から生み出された絶望の表出。フィッツジェラルドにはプーシキンのようなある種の血の気はなかったのだろうけど、絶望の性質はどこか似ている気がする。ただ、二作ともそうだが、ディテールがあでやかだ。そこがフィッツジェラルドの魅力なんだと思う。
「マイ・ロスト・シティー」はフィッツジェラルドのニューヨークという街に対する思いの表出。最初は憧れとして、次には違和感をもってニューヨークに接していたが、しばらくして帰ってきたらもうニューヨークは故郷ともいうべき街になっていた。そして故郷ともいいえる時代―1920年のニューヨーク―は永遠に失われていた。これは日本人の多くが「東京」に感じる感覚と似ていると思う。いつのまにか忘れ難い町になり、いつのまにか懐かしいものは失われている。私にとっては80年代の東京が、「マイ・ロスト・シティー」かもしれない。
後半の三編は、おそらく私なら選ばないだろうなと思う作品だ。村上はどうしてこの三編を選んだのか、と読み終えたときに私は思った。未翻訳のものであるとか、フィッツジェラルドの作品と生涯の全体を紹介するとか、さまざまな目的意識からこういうセレクションになったのだと思うが、選び方自体もやや生硬な気がしないでもない。ただどちらにしてもプーシキンの作品と違って私自身がすべてを読んだわけではないので、選択の意味もこちらが考えつかないようなことがあるのかもしれないと思う。もっと読んでみなければ、フィッツジェラルドの作品群の持つ意味も、まだまだ見えてこないのかもしれない。(12.13.)