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西部邁『無念の戦後史』

無念の戦後史

講談社

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あまり何を買う気もなく出かけたのだが、丸の内丸善で西部邁『無念の戦後史』(講談社)を買ったのだった。戦後史については今までこれが決定版、というようなものはなく、どれも一長一短という感じだったが、この本は戦後の思想状況についての問題点がわかりやすいし、特に時代区分とその説明がいいと思った。

戦後第一期を55年で区切るか60年で区切るかということはいつも迷うのだが、60年安保までが政治の季節、60年代は高度成長と学生運動の時代、と考えれば60年で区切るというのが納得しやすい。あとは71年と85年で区切っているが、ドル=ショックとプラザ合意ということである。ドルショックで切るか石油ショックで切るかなど、ちょっとしたことだが、田中角栄が政権を取ったこと自体が財界からすれば異例だということもあり、そうした環境変化への対応の期待が田中角栄にかけられたことなどを考えるとその当たりがいいのかもしれない。とりあえずまだ読みかけなのでこのくらいに。(9.5.)

『無念の戦後史』読了。戦後日本に理念が失われたとはよく言うことだが、何が理念だったのかということについて考える。アジア解放といっても、西部氏の言うように解放というのは所詮消極的な理念に過ぎない。アジアの近代化といっても近代化の本家は西欧で、近代化=西欧化の優等生である日本が他国を「指導する」ということの正当性というものをどのように示すかということは難しい。西欧の諸制度は西欧の社会=政治関係の機微の中から生まれたものであり制度や理念だけを輸入しても木で鼻をくくったものになってしまうのを、日本は日本流にかなり噛み砕いて取り入れはしたのだが、その日本流にアレンジした近代化というものが直輸入の近代化よりもアジア向けであるということが示せなければ近代化という理念でリーダーシップを取ることはなかなか難しい。ちょっと本の内容からは逸れるが、そうした理念=リーダーシップ論について考えさせられるきっかけになった。(2005.9.7.)

  

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