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御厨貴・中村隆英『聞き書 宮沢喜一回顧録』
聞き書 宮沢喜一回顧録岩波書店このアイテムの詳細を見る 私は宮澤という人を政治家としては全く評価していないが、『宮澤喜一回顧録』は少し読んだ限りではかなり面白い。この人は薀蓄もあるしそれをさらりと喋るのが上手い。また語り方がなんとなくマンガ的というか、軽くて読みやすい。つまりは、政治家にありがちなよけいな情念の介入というものがこの人にはほとんど無いのである。だからものすごく読みやすいのだが、政治家の資質としてはそれはちょっと欠けるものがあるだろう、ということになる。
ぱらぱらっとみたところでは岸信介が安保改定のとき大衆運動や議会の反対の圧力の強さを見誤ったのは、革新官僚が強力に政策を推進できた時期に権力を行使できたために議会制や大衆民主主義というものが感覚的に理解できなかったのではないか、というようなことを言っていてなるほどと思うところがあった。そうなると、岸退陣と言うのは大正政変の桂太郎失脚とかなり重なって見えてくる。安保騒動(闘争)といいながら、結局は岸退陣で政局も運動も終息してしまったわけだから、まあ言えばせいぜい「安保政変」というくらいが妥当なのだろう。桂と違って岸は退陣後も大きな影響力をもちつづけるけれども。
私の中での宮澤政権のクライマックスは、ブッシュシニアがビッグスリーを引き連れて乗り込んできて、晩餐会で大統領が倒れ、宮澤が介抱した場面であるのだが、それに関連したエピソードもいろいろ興味深かった。そういえば大統領が倒れたのはその日の昼間にアマコスト大使と組んで天皇陛下・皇太子殿下とテニスをし、二連敗した後だった、ということも思い出した。あの頃はまだ、アメリカに対して優越感をもっていた日本人が多かったよなあ、と何だか懐かしい感じがする。いまじゃアメリカのパシリ、南北朝鮮や中国には虐められ、といった趣で情けないことこの上ない。(2005.3.21.)
『宮澤喜一回顧録』読了。なんか並行してあんまりたくさんの本を読んだのでいつ読了したのかわからなくなってしまったが、確か昨日のはず。近年のことに関しては、ほとんど財政問題についてのみ語っている。戦後の転換点をいくつか挙げろ、という注文に対し、60年安保と85年のプラザ合意を上げていたのが印象的。ほぼ私自身の見方と重なるからだが、ただ60年安保を戦前型の政治の終焉とみなし、85年を高度成長型経済体制の終焉と見なしているところが特徴的か。85年はいろいろな転換点と見なせるが、例えば製造業中心の経済構造が金融中心の経済構造へと転換が始まった年、とみなすこともできるだろうか。その後数年でバブル・土地神話の崩壊・長期不況・雇用形態の転換など大きな変化が怒涛のように押し寄せてくる。その出発点はプラザ合意だと思うが、それを考えると日本は政治力がないと点でいろいろな面で損害を蒙っているということを改めて思う。
それが現代の状況に結びついているのだけど、こうした状況の中で政治的なテーマでも経済的なテーマでも、一度開かれてしまったもの、門戸が開放されてしまったものが元に戻るということはよっぽどのことがない限り不可能だ、ということは強く感じる。もう政治的にも経済的にも倫理的な面でも変な意味でどんどん門戸開放が進んでしまった点が多く、しかしもうこれはパンドラの箱と同じで取り返しがつかないものがいっぱいある。だからそれは、流れをせき止めるというよりは流れに沿うような方向で少しでもましな展開を考えていくしかない。しかしそれは、臨機応変の、時に強硬手段を取り時に寛容な政策を打ち出して、といった高度な運営能力が求められることだろう。アメリカでもフランスでも、時に稚拙ながらそれをきちんと実行しようという意識はあるのだが、日本の場合はガバメントのガバナンスが欠けていると思えて仕方がないというのはいいすぎか。ガバナンスが欠けたものをガバメントといっていいのかという混乱に陥るが。
まあここでは、この問題は混乱のまま放っておこう。(2005.3.28.)