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中村明一『「密息」で身体が変わる』

「密息」で身体が変わる

新潮社

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昨日帰郷。やることが押せ押せになって上手く片付いたかどうだか、といううちに家を出て東京駅へ。しかし行ってみたらわりあい余裕があったので丸善で本を物色。朝、甲野善紀氏のサイトで読んだ尺八奏者の「密息(みっそく)」という呼吸法に興味を持ち、そういえば丸善で見かけたということを思い出したからだ。3階の文庫・新書のコーナーで中村明一『「密息」で身体が変わる』(新潮選書、2006)を買う。巻末の参考文献をぱらぱら見ると甲野氏等の身体論関係の本が並んでいて、これで間違いないだろうと確認。

駅構内で『牛肉ど真ん中』を買って中央線に乗る。中央線と特急の車内でずっと読んでいたが、なかなか面白い。密息という呼吸法は知らなかったが、なるほどと思うことは多い。しかしやってみると、これは案外難しい。骨盤を立てる/寝かせる、あるいは緩める/ひきしめるというのは寺門琢己『男も知っておきたい骨盤の話』であるとか『デューク更家の1分間ウォーキングスーパーセラピー』(ちょうど手元にあるのでこれを上げておく)などでも取り上げられているかなり重要な問題なのだが、中村氏は日本人は最も骨盤が倒れている民族だといい、それに応じて日本人の身体技能が発達してきたが、それは骨盤を立てる体系の西欧人とは全く違う身体文化であって、密息という呼吸法もまた骨盤を倒すことによって可能になる呼吸法だということだった。

この呼吸法が自分にどのくらいあっているのかよくわからない。呼吸は意識と無意識の境目にあるもので、意識してもできるし無意識でもしているものだから、身体について探求していく上では重要な要素だということは齋藤孝だったかの著作で読んだ。甲野氏はだからこそ技の説明の際に呼吸については触れない、という姿勢を持っていると書いていたけれども、中村氏との対談で中村氏の尺八がどこか遠いところで吹かれているように感じ、その呼吸法について驚いたことから呼吸についても考えなければいけないかもしれない、と書いていた。甲野氏の技は今のところ私にとっては単に神業で、とても真似のできないことだと感じているが、密息というのも上手くできないと変なことになりそうなので気をつけなければいけないと感じている。

ただ日本人特有のたたずまいの静けさとか、そういうものを身につけるには密息は重要だ、というのはわかる気がする。いずれにしろさまざまな身体論でよく出てくる「深部筋」というものが密息においては重要で、自分でやってみた限りでは深部筋の衰えが一番もろに反映されるのはこの呼吸に関してなんじゃないかという気がするので、なかなかハードな感じがする。四股踏んで摺り足の練習するとかした方がいいのかもしれない。というか尺八吹けばいいのか。ってそう簡単にできるものではないが。

ただこのへんの呼吸法も、演劇をやっていたころに練習していたさまざまな呼吸法(私がいた劇団では当時からそういう東洋的なものを稽古に取り入れていた)との共通性があるような気がするので、試行錯誤しているうちにわかってくるのかもしれないと思う。(2007.1.24.)

昨日。朝から会計関係の仕事があって少し頭を使う。その後はウェブ関係の作業をしたり本を読んだり。中村明一『「密息」で身体が変わる』読了。面白かった。息を吸うときも吐くときもした腹を膨らませているという感じが最初はよくわからなかったが、以前芝居の稽古でやっていたときの発声練習法の中にヒントになるものがあり、なるほどこういう感じかと理解する。ただまだ当たり前だが体得したという感じではない。しかし良し悪しはよくわからないが身体が変化しているという感じもあり、ちょっと観察していこうという感じ。

本として読んだ感想でいうと、『金もち父さん』シリーズもそうなのだが、私が普段読んでいるような「ものを考えている人」の文章でなく、「ものをやっている人」の文章という感じ。つまり実践が先にあってそれを文章にしているということで、逆にいえば書く/読むということで完結しない開かれた構造になっている。なんと言うかよけいな力が入っていないということだろうか。それだけにつかみどころのない感じもしてしまうが、そのほうがこの呼吸法というものを語るには向いているような気もする。

数日前に見掛けは似ていても街を歩いている中国人は雰囲気でわかる、日本人はよけいなオーラを出さない、ということを書いたが、それを生命力の衰えのように解釈していたのだけど、この本ではそうではなくて「密息」につながる呼吸の違いとして説明しているところがあって、そうかもしれないなと思った。確かに日本人の呼吸法は中国人の呼吸法とは違う。中国人はどちらかというとヨーロッパ人並の腹式呼吸である人が多いような気がする。それは生活様式(椅子に座るなど)がもともとヨーロッパと共通する部分が多いからだろう。日本では畳の間でなくても打ち解けてくると床に座って車座、という感じになると著者は書いているが、そういう民族的な身体の記憶や文化の力というのは大きいのだなと思う。逆にアメリカ化された日系人は代が下るに連れて腹式呼吸的な発声になっているという観察も、私の実感に近い。(2007.1.25.)

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