>本探し.netTOP >本を読む生活TOP >著者名索引 >カテゴリ別索引 >読書案内(ブログ)
綿矢りさ『蹴りたい背中』
蹴りたい背中綿矢 りさ河出書房新社このアイテムの詳細を見る 綿矢りさ『蹴りたい背中』。これは140ページ、原稿用紙で200枚くらい。いま54ページまで。このくらいの規模のテーマのこういうキャラクターの描き方がこの規模の作品になるのかとふむふむと思いながら読んでいる。この小説、出たときはキワモノ的な女子高生を持ち上げる馬鹿な大人たちに評判らしい、みたいな印象があったので読む気がしなかったのだが(よく考えると今でも相当性格が悪いな)、読んでみるとあにはからんやかなり面白い。借りる前はとりあえず「読みたくねー」といってみたりしたのだが。教室の風景の描き方も映画的で面白いな。『セーラー服と機関銃』で薬師丸ひろ子が『カスバの女』を歌いながら足の間から向うを見ているシーンを思い出した。
「さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。」
という冒頭の言葉が、「カスバの女」の哀愁や、またのぞきをしている薬師丸ひろ子の奇矯な行動を思い出させたのだ。
案外文章が濃くて、そういう意味で読むのが大変なのは意外だった。これはにな川というキャラクターに負うところも大きいが、主人公の思考も負けずにかなり濃い。この人も高校時代は(今もだろうが)相当くだらないことばかり考えていたんだろうなという妙な共感がある。行動形態は自分とはかなり違うが、高校生的な頭で読むと共感できるところはかなりある。
***
『蹴りたい背中』読了。読む前、あるいは読んでいる途中と読了感が全然違うのが面白い。
読む前はやはり「背中」の方、つまり蹴られるにな川に焦点があたっているのかと思ったし途中までそう思っていたが、最初ににな川を蹴った日に続く体育館の話のあたりに行くと、主人公ハツの巨大な自意識がどんどん鬱陶しくなってくる。この辺は読んでいて自分ならそう思わない、ということが連続するからだろう。ただこういうことを言いそうなのがいるなということが多分無意識に感じられるので読んでいるうちに不愉快ながらとても面白くなってしまう。
ストーリーを書いてしまうと興醒めになるといけないのでなるべく書かないが、つまり本当は『背中』の側でなく、『蹴りたい』ハツの巨大で奇矯な自意識、嗜虐性の萌芽のようなものが描かれていると言っていいだろう。軽蔑といっては冷たすぎる、愛といっては残酷すぎる、まあサディズムの萌芽としか言いようのないものが描かれていてそのあたりはとても面白い。
この小説は「ちょっと奇妙な青春小説」みたいに装ってはいるが、本質は全然そんな生易しいものではなくて、かなり危なくてある意味相当エロい。フェティッシュな部分も相当だ。だから外国語に、特にフランス語とかに訳すと、ある種熱狂的なファンが生まれるんじゃないかという気がする。ドイツ語やイタリア語でもいいな。もちろん英語でもいいけど。なんか『愛の嵐』に近いものを感じてしまう。
高校一年どうしの交流としてはたとえそういう趣旨でもこのくらいの感覚がちょうどいいし、ジャストにそのものを描いていないズレのようなものがまたそそるというかまあそんな感じがする。こういう本質というのは人生経験とかとは全然無関係に存在するものだから、ある種の世界性を獲得するように思う。
細かく思うところはあるが、切り上げ方も上手いな、と思う。
「にな川は振り返って、自分の後ろにあった、うすく埃の積もっている細く黒い窓枠を不思議そうに指でなぞり、それから、その段の上に置かれている私の足を、少し見た。親指から小指へとなだらかに短くなっていく足指の、小さな爪を、見ている。気づいていないふりをして何食わぬ顔でそっぽを向いたら、はく息が震えた。」
これから二人が、というかハツが、どんないけない世界に入り込んでいくのか、あるいはそこで立ち止まるのか分らないが、高1というのは立ち止まるにはもう遅いかもしれないな、とか余計なことを考えた。(2007.7.6.)