本探し.netTOP >本を読む生活TOP >著者名索引 >カテゴリ別索引 >読書案内(ブログ)

子母沢寛『勝海舟』

勝海舟 (第1巻)

新潮社

このアイテムの詳細を見る

実家で本棚にあった子母沢寛『勝海舟』(新潮文庫)を読み始めたらずいぶん面白くて読み耽ってしまった。どこまで史実かはよく知らないけれども、読みかけたところでは勝の父、小吉の暴れぶりがおもしろい。あちこちで騒動を起こしてまわる代わりに、人に頼まれると騙されて掠め取られた金を取り返しにいってやったり、遊びが過ぎて周囲に見限られ、妾宅で死んでしまった旗本の葬式を自力で出してやったり、東奔西走する様が魅力的である。あちこちに借金をこさえてまわっているのに、感謝してお礼に訪れる人からの礼金は絶対に受け取らない。そばにいたらこんなに迷惑な人間もこんなに頼りになる人間もおるまい、という感じである。

出てくる人間もまだ弱年の麟太郎、その剣術の師島田虎之助、小吉の妻など、魅力的な人間が目白押しである。

ただ小吉が、「幕府家人(けにん)」と名乗るのにはちょっと引っかかった。天保期に「幕府」という言葉は一般に使われなかったのではないかと思うのだがどうなのだろう。細かい考証はよくわからないので、機会があったら調べてみたいと思う。(5.14.) なんだか調子が出ないまま、子母沢寛『勝海舟』(新潮文庫)を読みつづけている。もう2巻も半分くらい、軍艦奉行並になった勝が幕府軍艦で大阪に来ているところだ。

咸臨丸でアメリカに渡るところなどは、やはり読んでいてすがすがしく明るい気持ちになる。小説だから脚色もあろうが、困難な状況を乗り切ったものたちの明るさ、晴れがましさが読んでいて嬉しい。

ふと違うことを考えていても、子母沢の文体でものを考えていたりするときがある。せりふにも鍵括弧を使ったり、使わなかったり。短く切った言葉、頻繁に使われる句読点。文体というのはリズムだなと思う。リズムが美味しいのがみずみずしい小説か。全く傾向は違うのだが、山田詠美の『ベッドタイム・アイズ』を思い出した。せりふの表現の形式がそっくりだ。まねをしたかどうかはわからないけど、あんがい何かしらの影響を受けているのかもしれない。

詩ももちろんそうなのだけど、小説も、読んでいて小気味よさとかちょっとした表面の魅力があって、また読んでいるうちにしみじみと心に染みとおってくるような味わいのある文章が、これはいいなと思う。何の気のないつなぎのようなエピソードの中に、なんともいえない味わいがあったり、そこで毛色を変えることによって主筋のエピソードもまた際立ってくる、そうしたリズムや色合いの巧みな悠々とした表現に、一時代前の作家のおおらかな人間観や、そこに確かにいたであろうむかしの人々のさわやかさなどを感じたりする。

現代の作家が時代物を書いてもどうしてもけち臭く、しみったれた感じになってしまうのは、この時代がいやにせせこましい時代だからなのだろうなあと思ってもせん無いことを思ったりもする。

5月の空のような底の抜けた明るさ、さわやかさ。そりゃあ全くいまの季節のことじゃないか、変にくすぶっているのもお天道様に申し訳がない、ということかも、と、自分勝手にどんどん気持ちの中は幕末化していく。(5.17.)

子母沢寛『勝海舟』(新潮文庫)を読んでいるが、ようやく第3巻に差し掛かっている。いろいろ考えさせられることの多い小説である。

第3巻のはじめごろに、こんな部分が出てくる。

「杉、お前、開成所じゃあこの頃何をやっているえ」
「相変わらず、ロッテルダム・コーランドを和解して、閣老へ差し出していますよ」
コーランドは、阿蘭陀から入る週刊雑誌だ。
「それきりかえ」
「いや万国歴史を勉強している」
「どうだえ」
「面白い、実に面白い」
「ふーむ、浄瑠璃や芝居と、どっちが面白え」
「え?」
「いやさ、おいら、面白がるために、本を読むくらいなら、芝居か浄瑠璃へ行くからよ」
純道は、近頃に、珍しく、思わず、ぐっと息の詰まるような心地がした。麟太郎の今の言葉に、まるで自分の脳天から太刀を振りかざして、ざっくりと切り込まれたようなものを感じたからだ。

それっきり、ただ黙々として飯を済ませた。折角持ってきた初鰹も、最初、僅かに一箸か二箸つけただけで、後は箸もつけない。
麟太郎は、すぐにけろりとして、長崎で勉強したセバストポール戦記の話をした。仏蘭西革命の話をした。が、純道はただうなずくだけであった。
「先生、わたしゃあ、もう一度、最初っから学問をやり直す」
「え、なんだとえ」
「いや、どうも、今日まで、本当に、本を読む肚が定っていなかったようだ、いや定っていたかもしれないが薄っぺらであったようです。もう一度、一歩々々、しっかりと大地を踏むように、本を読み直してみる考えです」
「そうかえ、そ奴もいいね」

知的好奇心が悪いとはいわない、それがあればこそ学問が楽しいという部分は確かにある。しかし楽しいだけの学問は薄っぺらい、そんなことをいっているのだと思う。

自分自身を振り返ってみると、自分が学問をする動機の最も大きいものは、やはり知的好奇心だろう。もう一つあるとすれば、自分の切羽詰った内面の問題の解決、答えを見つけ出すことにあるのだと思う。近代とは何か、デモクラシーの本質は何か、歴史の中にある個人とはいかなる存在なのか、社会や国家の行き詰まりと自分自身の堂々巡りの結論を求めて、フランス革命史も取り組んだのだが、自分自身にとってもはかばかしい結論は挙げられなかった。 それからさまざまな分野に読書は伸びていっているけれども、それはやはり基本的にはその二つのものの絡み合いから、といって差し支えないように思う。しかし、そうして形成されてきた自分の学問というものに、どうしても弱さを感じていたし、それは人に指摘されることも珍しいことではなかった。しかしどこに問題があるのか、自分でもよくわかっていなかった。

『勝海舟』の一節を読み、町を歩きながらそれを何度も反芻して、つまり私の学問には「それをどう役に立てるのか」、「役に立たせるためにはどうしたらいいのか」という観点が欠けていた、ということに気がついたのである。

教鞭をとっていても、役に立つことを教えているという自信はあまりなかった。カタカナもしっかりかけない高校生に絶対主義を教えることの意味がどこにあるのか。ブルジョワジー、という言葉を教えるときに、まずカタカナの「シ」と「ツ」の違いから教えなければいけない。

比較的私はそういうことをきっちり教えたほうだとは思うけれども、そこからはじめているとなかなか本筋に行くことは難しい。(しかし、どんなに何度も教えてもこの二つを書き分けられない生徒はけっこう多いのである。こういう生徒が中学からどんどん送られてくることも困るけれども、生徒数の減った現在ではあんがい大学に進学したりもするわけで、高等教育の現場でカタカナを教える必要もそのうちでて来るかもしれないと思う)しかし世界史は必修だから、どうにかして何かを教えなければいけない。

自分は、知的好奇心、というものを喚起したり、歴史を学ぶことの面白さ、というものを感じさせたりすることには一生懸命だったが、その内容がどう役に立つのか、というところまではもっていけてなかったな、と思う。それは、自分の学問のあり方の問題で、自分にとってはその源泉が知的好奇心であり、あるいは内面の問題の究明であったからなのだと今でははっきり自覚できる。何かに役立てるための学問、という発想が欠けていたのだからだと思う。

役に立たない学問はない、訳で、しかしながらそれがそれを自覚しているかどうかは実はかなり大きな問題だろう。30を過ぎて大学院に行って感じたのは、知的好奇心だけで研究している人が多い、ということだった。それを歯痒くは感じたけれど、自分だってそれにプラスして自分の内面の問題があっただけなのだから五十歩百歩なのである。

高校の現場で感じたことは逆に、教える内容を自己目的化している教師が多い、ということだった。どういう意味があるからこれを教えている、という意識がなく、いや、そう見えただけかもしれないが、生徒がわかってもわからなくても決められた難度の内容を進んでいく。私は3年生の就職試験の前に担任のクラスの生徒に分数の原理を教えたことがあったが、その生徒は数学は4でほかはオール5だったのである。

分数のわからない生徒に2次方程式を教えてどうするというのか。結局授業で、この問題を出す、と宣言し、解法までじっくりと説明する。生徒はそれを覚えて試験に臨む。それでも50点はなかなか取れない。数学は暗記科目なのである。制度にただ引っ付いていけばその行為は正当化されてしまうし、変に熱心にやって生徒から煙たがられるのもつまらないと思っている教師は決して少数ではないように私には見える。

私はできるようになることの面白さを教えたかったから、なるべく生徒の理解度までおりていって教えていたけれども、やはり面白さ、だけでは足りなかったのだなと今では反省する。

福沢諭吉は実学、ということを言ったけれども、教育の現状というのは知的好奇心だけに乗っかったいわば虚学と、課程を通り過ぎることで高卒の資格がもらえて社会に出て行く箔をつけるだけの教育の、二極分化を起こしつつあるような気がする。

そのための打開策としていちばん必要なのは、役に立つことを教える、役に立つことを身に付ける、という考え方そのものなのではないかと思う。それはいわゆる実学にはとどまらない。私は簿記やシスアドの資格もとったが、ほとんど生かせているとはいえないから、現時点ではその勉強は死んだものだろう。どんな勉強でも、これは役に立つ、と思って教え、役に立つものを身に付ける、という意識を持って勉強していなければ、生きた勉強にはならないのだ、と強く思ったのだった。(5.18.)

子母沢寛『勝海舟』を読みつづけている。第4巻に入った。

読んでいると自分も幕末の世界にいるような感じがしてきて、強く親近感を感じる。話の端々で、後に起こる出来事を勝に予言させているのはご愛嬌だが、言葉の肌触りというか皮膚感覚というか、そういうものがどうにも気持ちいいせいか、その世界にゆっくり入っていってしまう。

老中小笠原周防守が盆栽の趣味があり、墨梅の鉢と六万石を取り替えてもよい、といったとか、その鉢を勝にもらって上手に世話し、公儀を馘首になってもこれで生活できる、と軽口を叩いたり、あるいは夏の夜の慰みに庭の灯篭に火を入れ、その後ろに鶉の籠を置いてその声を楽しむ、などというくだりはまあぜひそんな楽しみ方をしてみたいものだと垂涎である。

人の心の動きも実に丁寧に追っているし、史実にもかなり忠実に書いている印象である。中里介山『大菩薩峠』などを読んでいるとけっこうはちゃめちゃなのだが、『大菩薩峠』の中の記述で史実だと思ったことがずいぶん創作だということが『勝海舟』を読んでいて判然としてきた。特に新撰組土方歳三、勝の剣術の師島田虎之助に関するくだりである。

また幕閣にフランス公使ロッシュが深く食い入っている様の描写など、うならされるところがあった。(2002.5.21.)

『勝海舟』はようやく第5巻を読んでいるが、いろいろ考えさせられることが多い。このところ私自身はどうも真面目に振舞うことがよいことだと思いすぎていたこととか、使命感を確かに持っている人間こそが何かをやり遂げられるということとか、まあそんなことを思い直している。

真面目に振舞う、というのは別に悪いことではないかもしれないのだが、それがその人にあっていればの話なのだろう。私の場合、真面目に振舞うということはじぶんの視野を非常に狭くしてしまい、自分自身を追い込んでしまうある種の鬼門だと思う。それは不真面目に振舞う、ということとは違うのだが、人間の幅を広くする、余裕をもつ、遊びをもつと言う事は、私の場合意識しなければだめだなあと思う。

使命感、というものは今の状況をどう見るか、そしてじぶんはなにものか、ということについて整理されていることから生まれるものだと思う。まだまだ自分はそのへん混雑しているとは思うけれども、徐々に整理していきたいものだと思う。(5.22.)

子母沢寛『勝海舟』全6巻をようやく読了。13日に実家でぱらぱらと見、16日に実際に買ってからちょうど1週間ということになる。谷崎潤一郎訳『源氏物語』(中公文庫)全5巻を読んで以来だろうか、これだけまとまったものをいっぺんに読んだのは。今見てみると谷崎源氏は文字も大きいし、欄外に注があるから文字の分量で行くと『勝海舟』の方がずっと多いことになる。

私は子母沢寛という人については何も知らずに読み始めたのだけど、読み始めるとだんだん人物像が見えてきた。江戸っ子びいきで薩長嫌いの口吻がちら、ちら、と垣間見えるので、きっと東京の人だろうなと思ったら北海道の人。しかしよく調べると祖父は上野で薩長の官軍と戦った彰義隊の生き残り、榎本武揚とともに北海道に渡って戦いに敗れ、のち石狩の厚田に入植して網元になったという人だった。道理で、である。

または文庫の発行年次は昭和43年になっていたのでそのころの作かと思ったらなんと昭和16年から21年にかけて『中外商業』紙(現在の日本経済新聞)に連載されたもので、開戦から敗戦、占領初期にかけて書かれた小説だったとは驚いた。

そういわれて考えてみると、前半のほうではイギリスやらアメリカのことを糞味噌に行っていたのが終わりのほうになるとけっこういい奴のように描写している。また終わりのほうには大村益次郎への批判に事寄せて「軍部が国を誤った」批判をしていて、ちょっとどうかいなあ、と思ったらそういうことだったのか、とびっくりした。

しかしそんなことでこの小説の価値は全く損なわれることはないのであって、これは司馬遼太郎など最近の作家の時代小説に比べてその雄渾さというかスケールの大きさは比べ物にならない。やはり何かを伝えようという使命感のあり方、その大きさが違うように思われた。また間を置いて読み返してみたいと思う。

読了後じっとしておられず傘をさして雨の中を神保町まで行き、勝海舟『氷川清話』(講談社学術文庫)を買ってしまった。(ついでに古本屋で高宮太平『順逆の昭和史』(原書房)も買った)この『氷川清話』は江藤淳・松浦玲編となっているが、巷間に流布している吉本襄編のものを談話の原資料にあたりながらテキスト批判をしてあるものだということである。(5.23.)

  

トップへ