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尾崎哲夫『英語「独習」開眼法』

英語「独習」開眼法―何十回も投げ出した人へ

講談社

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昨日買った本。尾崎哲夫『英語「独習」開眼法』(講談社ニューハードカバー)。自らの体験を通して英語を学習するものが陥りやすい失敗について語り、その乗り越え方も書かれている。受験時代に文法を自分なりに理解するために何度もノートを作り、自分のため用の文法書に近いものになっていったという努力に感心。ああ、人の教え方がよくないなどと文句を言う前に、そういう努力をすべきだったのだなと自らを振り返る。マニュアルの不十分さのせいにしていた自分が恥ずかしい。しかしおそらく、受験時代にそこまで英語に打ち込む不安には耐えられなかっただろうなと思う。しかし本当は、不安に耐えて何かをやり遂げることにこそ人生の意味があるのだと今では思う。人生の意味を避けて通るつまらない生き方をしていたのだなと思う。(2004.2.17.)

尾崎哲夫『英語独習開眼法』(講談社)読了。考え方の中には同意できないところもあるが、全般的になるほどと思うところが多い。中学生に英語を教える基本はキーセンテンスの暗記と肯定・疑問・否定に直す練習、それを現在、過去、未来でできるようにすること、という指摘は単純なようだがこれがすらすら口をついて出てくるようにできればかなり成果があったといっていい。そういえば自分が中学生のころは理屈はわかっていてもぱっといわれてすらすらどの形にも直せるというところまで行ってなかったなあ、と思う。やっぱりやるべきことをやっていないといけないなあと思う。

よい授業をするにはどうすればいいか、ということも、結局は予習と熱意の二つだ、という指摘もあたりまえのようだが常にそれをもちつづけることがどんなに大変か、ということも感じる。自分の経験から言うと予習をしっかりしておきすぎると授業でやりすぎたりうまく自分自身が乗れなかったり、熱意で持っていくとすると予習が論理的に組み立てにくくなったりとどうも二つそろえていくのは難しい。教える相手が理解度も高く熱意に溢れている手ごわい相手であるならばおそらくどちらも全力でやらないと間に合わない、いややっても間に合わないかもしれないが、教える力は非常に伸びるだろうなと思う。そういう機会に恵まれる教師は幸福だと思うが、現代の日本でどのくらいのその幸福が味わえているだろうか。

単語集の作り方、音読の必要性などなるほとどうなずけるところも多い。英語に限らず自分の「教えた体験」を語ったものというのはどれも興味深いのだが、世の中にあるのはどちらかというと教育困難な状態の生徒たちの教育にどう取り組むか、というものが多く、うまくいった授業の体験といったものを一般向きに語ったものはあまりないように思う。ものを教える、ということを仕事にしている人は日本中でずいぶんたくさんいるはずだし、一時的に講師をしたりたのまれたりする人もいれればずいぶんたくさんになるのではないかと思う。そういう読み手を考えればそういうものの面白いものであればかなり潜在的な需要もあるのではないかと思うのだが。(2004.2.20.)

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