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高田康成『キケロ』

キケロ―ヨーロッパの知的伝統

岩波書店

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高田康成『キケロ』を読んでいるのだが、キケロが『弁論家について』で弁舌さわやかに語るためには、何よりもまず文章化するという作文の練習が欠かせない、と言っているのを読んで、思わず膝をたたきたくなる思いがした。全くそのとおりだと思う。最近ろくに日本語をしゃべれない若者が増えているのは、やはり日本語を書く訓練がなされていないからではないかという気がする。私の日本語も怪しいものだが、それでも小学校のころ作文指導に熱心な先生がいて、運動会のことやらなんやらとよく作文を書いた。文集を作ったり『優』とか『良』とか赤ペンで書いて返してくれるのが楽しくて、私も一生懸命作文を書いていた思い出がある。今では手書きで文章を書くのは億劫になってしまったが、キーボードで叩くにしろ文章をつづるのが好きなのは、そのときの教育が生きているのではないかという気がする。そしてたぶん、それは喋りにも影響しているのだなあと思ったのだった。

キケロの発言では、プラトンは根本的に修辞学を批判しているが、その彼の非難の弁舌は華麗な修辞以外の何者でもなく、返って修辞学の必要性を体現している、という指摘などはにやっとさせられる。まだ読みかけだが、キケロという人物が西欧史上に於いていかに重要な位置を占めるかだんだんわかってきた。(2003.1.24.)

『キケロ』を読みつづけているのだが、キケロがどう読まれてきたか、という話もなかなか面白い。シェークスピアと同時代の『博士』といわれたベン・ジョンソンがキケロの演説の最高峰、また彼の政治的勝利をも意味した「カティリーナ弾劾」を扱った『カティリーナ』という戯曲のはしがきで、「読者諸賢へ」とでも書くべきところを「凡庸な読者へ」とし、「諸君は、はじめの二幕に登場する人物が極悪人であるがために面白いといい、それに続く幕に現れるキケロの演説の方は、学校でその一部を読まされたあげく理解できなかったゆえに気に入らないということだろう。なんとも嘆かわしいかぎりである。」と書いているというのは笑ってしまった。17世紀イギリスのゴーマニズム宣言である。

キケロが主に述べているのはローマ的伝統の実践重視の姿勢で、「観想的生」に対し「活動的生」を重視し、「知」の裏付けのある「力」をすなわち政治を重視する。美徳、という問題について私はあまり考えたことがなかったけれども、「浄罪的美徳」だけでなく「政治的美徳」も至福にいたる道であるとするキケロの注釈者マクロビウスの指摘は、ローマにおける価値観を正確に指摘しているように思われる。

さまざまな面からキケロの西欧の教養における重要な位置を指摘しているのは非常に興味深い。高校の世界史などでは文化史でキケロ−弁論術、のひとことで終わりだが、彼に対する理解の浅さが日本のヨーロッパ理解の底の浅さを示しているというのはまったくそのとおりだろうと思う。われわれだって、孔子や孟子についてほとんど知らないどこかの国の中国学者がいたとしたら、彼の主張をまともに聞こうとはしないだろう。(1.25.)

『キケロ』読了。これは、かなり刺激的な本だった。日本で古典古代の研究はギリシャはかなり進んでいるがローマについてはそうでもない。ヨーロッパでの教養の基本はラテン文学にあるのに、である。ラテン文学を受けつぎ、それを自己の物にしたのが18-19世紀のフランスの啓蒙主義と新古典主義で、それにドイツは乗り遅れた。ドイツはその反動もあって18-19世紀には徹底的にギリシャに傾斜していく。シュリーマンのトロイ発掘も、そうした素地に現れるという指摘はなるほどと思う。そして最後には異端のギリシャ学者、ニーチェが現れるというわけである。

で、日本は明治の当初は西洋古典などと悠長なものを吸収している余裕はない。しかしそうした余裕が出てきて西洋の本質をつかんでいかなければならないと考えたとき、日本はドイツから圧倒的な影響を受けることになり、従ってラテン文学をギリシャの亜流と軽視し、ギリシャを主に研究することになった、というわけである。こうした指摘は日本の西欧理解の歪みの非常に具体的な指摘の一例として大変興味深い。

しかしそうした西欧理解がローマの文化の独自性への理解を遅らせ、ラテン語の時代である西欧中世の理解も遅らせ、ラテン語がギリシャ語以上に重要だった近代ヨーロッパ全般の教養の実質への理解も遅らせることになったという結果は重く受け止めるべきだろう。その中でも特に割を食ったのがキケロの存在で、ローマ史自体もキケロ抜きで語られるいびつなものになった。逆にカエサルのみが偏重される歪んだローマ観が形成されたという指摘もなるほどと思う。

エリオットはヨーロッパの要は古代異教文化とキリスト教文化の橋渡しをしたローマにあるという認識をもち、それを文藝で表現する象徴的な存在としてヴェルギリウスに注目した。同じような叙事詩でも日本ではホメロスばかり称揚され、ヴェルギリウスが取り上げられることはほとんどない。しかしヨーロッパではいわば詩人の手本として扱われつづけたわけで、それは最後の中世詩人・ダンテの『神曲』に導き手としてヴェルギリウスが登場することからも理解できる。ちなみにヴェルギリウスの作品の中には救世主待望を扱った作品があるそうで、イエスと同時代のこの大詩人は中世にはキリスト教の予言者詩人として扱われた、という話ははじめて知った。しかしそれで「なぜダンテの導き手がヴェルギリウスなのか」という疑問が根本的に解けたような気がした。

ヘーゲルの『哲学史講義』の結語、「精神が自己を認識するのはかくも大業であった」はヴェルギリウス『アエネイス』の「ローマの一族を生み出すのはかくも大業であった」を下敷きとし、フロイトの『夢判断』の題辞「天上の神々を意のままに出来ないのであれば、私は闇の世界を動かそう」も『アエネイス』からの引用だそうである。そういわれてみるとヴェルギリウスの影響の深さがただごとではないことは容易に納得できる。

話をキケロに戻すと、シェークスピアの『ジュリアス・シーザー』の中でもキケロは懐疑主義者として登場する。『ジュリアス・シーザー』論の中でこのキケロの存在が論じられることはほとんどない(私もキケロが出て来ることはまったく忘れていた)が、これは懐疑主義者キケロ、エピクロス主義者カシアス、ストア主義者ブルータスといったものを出すことによってのちのキリスト教ヨーロッパとは異なる異教的な世界を表現するための手段なのだ、という風にいわれるとなるほどなあと思う。一神教キリスト教世界から見ると特異な世界だが、八百万の神の世界の住人から見るとそれはピンとこない。ヨーロッパの文化を理解する上で、キケロをはじめとするラテン文学の世界を把握することはこれからの日本にとってもかなり重要なことだと思った。観想的傾向の強いギリシャの文化に対し、実践的傾向の強いローマの文化を理解することは、現代の日本にとってもまったく必要なことだと思う。(1.26.)

  

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