車とパソコンの修理/「だんドーン」:薩英戦争とイギリス水兵の識字率/BABY METALのアルバムが全米トップ10入り/「戦後の保守」が戦前から受け継いだものと受け継がなかったもの
Posted at 25/08/21
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8月21日(木)晴れ
今朝は忙しいのだが昨夜も忙しく、家に帰ったのが普段より結構遅くなって、気がついたら0時をすぎていた。すぐに寝たのだが目が覚めたら4時半で、どうも睡眠不足の感じだが、目が覚めてしまったので起きて色々やっていた。資源ゴミの日なので出すものをまとめたり、作業場の雑誌をまとめたり、車で出かけてヤンジャンとカフェラテを買ってきたり。昨日の朝もカフェラテを買ったのだがセブンアプリを出すのを忘れてスタンプを貯め損なったので、今朝は忘れず出した。ただ帰る途中で出すはずだったハガキを持って出てこなかったことに気づく。朝出かける時に思い出せばいいのだが、忘れそうで困る。
昨日は午前中、自動車の12ヶ月点検があったのでディーラーへ行く。椅子席で待ちながら「反近代の思想」を読んだり。いろいろやっているうちに気がついたら点検は終わっていたのだが、一つ交換した方がいい部品が出てきて、よく聞いてみたらすぐ交換しなくてもいいことはいいが、このままでは車検は通らないと言うことだった。とりあえず保留にしてスーパーで買い物をして帰った(ようやくパンを買った)のだが、帰りの車の中でやはり「車検に通らない車に乗っている」のは嫌だなと思い、帰ってから電話して日程を調整してもらったら、金曜日の午後に預けて代車を借り、土曜日の朝一にはできていると言うことだったのでそれで頼むことにした。出費だがまあ生活になくてはならないものなので仕方ないなとは思う。
午後、仕事に出てパソコンのスイッチを入れたら異音がし、しばらくしたらスイッチが切れたりして、どうもおかしいなと思ってパソコン関係を見てもらっている人にメールをしたら、6時半頃にはきてくれて結局その場で解体したのだが、いろいろ物理的に壊れているところがあり、解体して破損したゴミを取り除き(部分的に粉々になっているものがいくつかあった)部品を替えようがないところは物理的にドリルで穴を開けてネジを締めたり大工事になったのだが、仕事が終わる時間をオーバーはしたが直ってよかった。これも仕事や生活に必要なものではあるから、すぐに対処しないといけないものではあった。
私は高校の時に転校しているのだが、転校前の学校で同窓会があって来ませんかというお誘いがあったから、スケジュールを調整して出欠の返事を出さないとと思っていたのだが、FaceBookを見ていたら幹事の人からまだハガキが届いていない人がいる!と書いてあったのであれ、と思って案内の葉書を見たら、7月中に返信とのことだった。自分は8月中だと勘違いしていたので、慌ててメッセージを送って出席の意思を伝えるなど。10月から11月はいろいろあって忙しそうな感じになってきた。
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今朝のモーニング(デジタル版)。「アパレルドッグ」が巻頭カラーでいい。アパレルものというのはあまり読んだことがないのでいろいろ面白いのだが、主人公のキャラクターがいい。「Giant Killing」、殿山の成長が著しい。「社外取締役 島耕作」、「次男」の逆襲始まるか。「織田ちゃんと明智くん」、織田ちゃんが最後まで「信長」が顔を出さなくて聖女モード。このバランスがいい。女子側がキスをねだるのは今週「アオのハコ」に続いて2回目。ただ、順調なスポーツ高校生に対して戦国高校生はいつも大変なのでオアシスっぽい感じがした。「POLE STAR」、レナの笑顔に泣きそう。
「だんドーン」、薩英戦争の実況放送。薩摩を攻撃に来た英国艦隊が、薩摩側から始まった砲撃に1時間以上対応できなかったらしく、それは幕府から分捕った生麦事件の賠償金が弾薬庫の前に積んであって弾薬を出すのに時間がかかったから、だとか捕虜としてイギリス船に乗り込んでいた五代友厚と寺島宗則が最新のアームストロング砲の大きさに脅威を感じるが、イギリスの水兵たちも最新式の扱いがわからず暴発させたりしていて、それは仕様書を読めるのがわずかしかいなかったためで、実は水兵たちの識字率が60%くらいだったとか、あまり知らなかった薩英戦争の実態が窺い知れたのはよかった。ここで主人公川路利良がなき主君・島津斉彬が反対を押し切って砲台を作ったことを懐かしく思い出しているのも胸熱だった。
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BABY METALがビルボードの全米アルバムチャートで9位に入ったとのこと。日本人だけのグループが全米トップ10に入ったのは初めてとのことだった。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/23ff1588ddaa39381459fc405f49f025535c747b
読んでいると戦略がなかなかすごい。YouTubeその他のアナリティクスを分析し、それが見られている国を重点的にワールドツアーするなどして、盛り上げていく、というのを15年続けて来たとのこと。BABYMETALは2010年結成でメンバーはまだ20代だから、11歳とか12歳でこの活動を始めてことになり、本当にBABYだったのだなと思う。今の写真を見てもまだ幼さを残しているから、この子達が年のうち半分以上は海外ツアーに出ているというのはめちゃくちゃすごいなと思う。メンバー交代も1人しかしていないというのもすごい。
アイドルとメタルとの融合ということでどちらも興味がなかったのでちゃんと聞いたことがほとんどなかったのだが、昨日YouTubeでいくつか聴いていたら、最近は「ふつうの軽音部」の影響で新しい曲(とはいえ2000年代とか2010年代のものが多いが)を聞くようになったせいか、彼女らの曲の良さもだいぶわかるようになったなと思った。車の中で聞いたりするのは結構いいかも知れないと思ったり。
最近は韓国系のグループが日本では幅を利かせているけれども、日本人アーチストも世界で頑張ってるというのはもっと報道されてもいいんじゃないかと思った。
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「現代日本思想体系32 反近代思想」の月報、保田與重郎・西尾幹二・いいだももと言う3人の取り合わせ。割とのけぞるのだが、戦前右翼の保田に、当時新進気鋭の保守派の西尾が出てくるのはわかるが、共産党のいいだももが出て来たのはバランスをとったということなのだろうか。
しかしいいだは本の中身と全然関係のない北一輝の話をして、「大魔王も五四運動には勝てなかったのだ!」みたいなことを書いている。この全集では、北一輝はこれとは別の「超国家主義思想」の巻でちゃんと出てくるのでなぜこんなことが?と思った。「反近代」も「保守」も「超国家主義」も区別がつかない人が編集担当だったと言うことだろうか。それとも依頼された方が趣旨を誤解して月報に寄せて来たのか。時々変なことはある。
「超国家主義思想」で出て来たのは、北一輝の他には大川周明とかだったと思うが、彼らの名前を挙げると確かに「天皇制ファシズム」みたいな括り方は可能にならないことはないなとは思った。そのほか取り上げられているのが2・26事件以前のテロ事件の関係者のものが多く、西田税、井上日召、磯部浅一、村中孝次、橘孝三郎、権藤成卿、東亜聯盟同志会といった面々である。彼らの思想をあまりちゃんと研究したことがないのでまとめるのは難しいが、彼らの思想が昭和前半において時代の主導思想だった、と考えるのも結構無理がある気がするし、自分の意識の中では「跳ね返り」の人たちなので、むしろ永田鉄山とか東條英機、武藤章あたりの書いたものを研究した方がいい気もするのだが、永田は最近研究が進んでいて、郷里の後輩としては嬉しい感じはある。
書いていて思ったのだが、戦後の保守派という人たちのことを考えた時に、彼らは、というか自分も自分自身を保守派と位置付けるのならば、何を戦前から受け継ぎ、あるいは受けつごうとし、何を受け継がず、何を拒否しているのか、とかについてもっと深めておいた方がいいのではないかと思った。あえて受け継がなかったものの中に、私たち日本人にとって大事なものが眠っているのかも知れない、という気がした。それは、参政党の主張を見ていて、これはたとえばインテリにはいえないことだな、と思うようなことがあるからで、それをきちんと評価しないで受け継がないでいる、みたいなことがあるような気がしたからだ。そういうことをちゃんと吟味していくことが、日本および日本人、そして日本文化を考え、守っていこうとする保守にとって必要なことではないかと思ったのだった。
中国はなぜサンフランシスコ平和条約を否定しようとするのか/「コミケに対する批判」と消費者マインドから抜け出せない人たち/今週のサンデーは面白かった
Posted at 25/08/20
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8月20日(水)晴れ
昨日は午前中銀行に行って何冊か記帳したりスーパーで足りないものを買ったり。パンを買おうと思っていて買うのを忘れた。昨日の朝は冷凍したご飯を解凍して食べたが、今朝は残っていたフルーツケーキをパンの代わりにした。パンと牛乳を買う、とメモに書いてあるのに牛乳は買ってもパンは忘れる、みたいなことを3回くらい繰り返していて、パンに関してだけ健忘症になっている。どう言う機序でそう言うことが起こるのだろうか。今朝もサンデーとパンを買いに少し離れたセブンまで車を走らせたのだが、サンデーとカフェラテを買ってパンは忘れたのだった。
今週のサンデーは読んでいて充実した。「葬送のフリーレン」は大陸魔法協会、帝国の魔導特務隊、影なる戦士の三つ巴の争い、とはいえ実際に交戦しているのは魔法教会のラントとユーベルが影なる戦士たちと戦っているのが現状。ユーベルは彼らが魔法探知ができないらしいことに気づく。と言うことは彼らは魔法使いではない、と言うことになるわけだなと。戦いながら相手の強みと弱みを把握していく様子がリアルだなと思った。
「龍と苺」は三段リーグ。私の推しの昇段が決まったので良かった。「かくかまた」多摩さん、と言うキャラが出てくるのだが、最初は女性だと思っていたのだがあれ男性かな、と思うようになっていたのだが、今回「だから知りたいの」と言うセリフが出てきてやはり女性かな、と思うなど。「シテの花」。劇的に上達したコタの謡を聴いてずっこける泰山先生が良かった。展開としては、次期家元である「若」とその「いとこ」の緊張ある関係、「伏龍と鳳雛」みたいな至龍と世鳳がお互いに技を競う、と言う展開になりそうなのが面白そうだなと思った。
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https://x.com/feminist_tokyo/status/1957627753144177106
「消費者主権」と言う頭の悪い言葉が一時日本を席巻したせいで、「自分はお客様」と言うマインドの人が爆増した、と言う問題が今の日本にはあるなあと言う気はする。「消費者マインド」から一歩も出てない。「消費」するだけでなくみんなで「生産者側」にも立って「運営」していこうというのが「コミケの精神」ではないかと思う。文句言うなら手伝え、参加しろ、運営しろと。逆にいえば、生産者側重視に回帰するという可能性もここには見えるわけで、これはトランプ以降の世界の転換、「生産業の復活」と呼応している部分があると思う。倫理も消費者側に立つものはかなり整備されてきたので、生産者側から見ての取引の正常化みたいなことも大事ではないかと思った。
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中国がサンフランシスコ平和条約を否定しようと言う動きを見せているという。
https://x.com/LIU_Yen_Fu/status/1957747027699192183
https://jp.news.cn/20250818/7ddfcedc2aaf42ec9363cecada96ff59/c.html
これは面白いと言っては何だが、サンフランシスコ体制≒ヤルタ・ポツダム体制を変えようと言うのは日本の一部の反米右翼・保守派の願望なわけだが、それを中国が言い出すと言うのは、日本の反米層を刺激して日米分断を狙う意図があるのか、それとも単に帝国主義的な自国の欲望の表れに過ぎないのか、と考えたりした。しかし、この記事の文脈だとサンフランシスコ条約が台湾の帰属を明確にしていないことだけを批判しているみたいだから、その批判は無理筋というかあまり焦点があってない気がする。
こちらの記事にあるように、サンフランシスコ条約は日本が「どの領土を放棄するか」については書いているが、どこの国に帰属するかは二国間で話し合うなっていると言う作りになっていて、これは米英の方針に基づいているようだ。だから交戦相手であった中華民国との間に条約を結ぶのは当然だろう。その後日中平和友好条約で中華人民共和国が唯一の政府と承認したことによって中国共産党政府もサンフランシスコ平和条約を認めると言うことになったはずだ。
サンフランシスコ平和条約・日華平和条約・日中平和友好条約の三つの条約の仕組みの中で台湾が中華人民共和国の領土ではないと主張するのはまあ多分不可能ではないので中国共産党政府としてはその可能性を潰したいと言うことだろうか、とも考える。
別の角度から言えば、中共政権も極東軍事裁判とその結果を受け入れると言うサンフランシスコ平和条約を参加はしないが認めるとしてきたわけだから、サンフランシスコ平和条約の否定は戦犯裁判の否定にもつながる可能性はあるのだけどいいのだろうか、とも思う。
そこを考えると、中共政権としては支那方面軍総司令官の岡村寧次とかを死刑にしたかったみたいだから国民党政権が行った南京軍事法廷とかの結果に不満はあるのだろうなとは思う。岡村は結局蒋介石の軍事顧問になって中共と敵対した経緯もある。
中国に関しては日本の敗戦後に国共内戦が始まったので色々なことが結果的に政治決着になっている面はある。そう言う意味では、南京事件とかは国民党側に日本の行為に対する反発を抑えるためにスケープゴートにされた側面はあるようには思う。蒋介石は「徳をもって怨みに報いる」と唱え対日賠償を放棄した経緯もあり、それも中共政権には納得しにくい部分はあっただろうとは思うし。
ただ、いずれにしても「サンフランシスコ体制」と言うのはそれぞれの不満を封じ込めた政治決着として70年以上機能してきたわけだから、中国が自分の都合でそれを変更しようとすることは、明らかにパンドラの箱を開けることになる。これは安倍元総理亡き後だからこそ、日本に対する揺さぶりが可能だと見て仕掛けてきている可能性はあるから、腰の定まらない政権は早く交代させてこうした事態にもしっかり対処していく必要はあるだろうとは思う。
「カッコいい(上流)」ことと「ちゃんとする(中産階級)」こと:その垣根を破る日本文化に「文化資本ギャップ」はあるか/マンガ家マンガ「かくかまた」と能楽師マンガ「シテの花」/諏訪湖スマートIC開通と観光業
Posted at 25/08/19
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8月19日(火)晴れ
いつの間にか8月も19日。先週はお盆期間だったから毎日が溶けていった感じだが、日常に戻さないとと思う。ただ、お盆期間前の日常もいろいろ問題はあったわけで、その辺を立て直さないといけないな、というのはある。今日の最低気温は20.4度で少し涼しめ、やりたいこともあるがやるべきこともあり、涼しいうちにというのはある。昨日の夜は早めに休んだのだけど最近眠りが浅いこともあって、ぐっすりというわけにはいかなかったけど時間だけは6時間くらい寝られたので、左肩の感じもいつもよりは楽な感じがする。結局頭が休まっているかどうかなんだろうなと思ったり。
地元紙(長野日報)の記事。諏訪湖スマートインターチェンジが開通しての人の流れの変化だが、諏訪市の施設は概ねプラスに捉えていて、また15日の湖上花火大会の後も混雑が緩和したとのことで概ね好評。関係はあまりないと思うが富士見町のパノラマスキー場でマウンテンバイクコースが利用者が多かったなど観光は概ね好調だったようだ。
しかし岡谷市の施設はもう一つだったようなのと、茅野市の白樺湖周辺では連日雨が降ったらしく、万博の影響が出たという評価だったようだ。同じ諏訪管内でも明暗はあるのだなと思ったり。また一面コラムの「八面観」では厚木の夏祭りの取材の話から、来年から日程を変えて秋にするとのこと。これは夏の暑さが限界を超えたからとのことで、諏訪の祭りも大体は7月終わりから8月初めなので、日程を考えてもいいのではないかという提案。諏訪大社下社の8月1日のお船祭り(御神体が春宮から秋宮に渡御)のように日程の変更のできないものもある。諏訪は関東と違って夏の日暮れの後はかなりしのぎやすいので、夜の祭りはそんなに神経質にならなくてもいい気はするが、祭りに気候の変化という問題は大きいだろうなとは思った。(しかし長期予報を見るとこれから9月1日まで全て最高気温が30度以上になっていて、これはやめてほしいとは思った)
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昨日はようやくちゃんと疲れが出てきた感じで、本当にあまり何もしていないのだが、午後職場に行って会計関係のことを少しやったくらいで、午後は昨日発売の「かくかまた」1巻と「シテの花」3巻を読んでいた。マガジンは「不滅のあなたへ」が終わって購読するのをやめ、水曜日に買うのはサンデーだけになっているのだが、「葬送のフリーレン」は連載が不定期だし、「龍と苺」しかちゃんとは読んでなかったのだけどこの2作品を読むようになって4作品は読むようになり、他の作品もぼちぼち読んだりはしているので、だいぶ充実してきた感じがある。
「かくかまた」はマンガ家マンガなのだけど、新しいのは「マンガの専門学校」が取り上げられていることだろうか。専門学校でどういう教育が行われているのかなどは全然知らなかったので、勉強になるなあと思っている。
マンガ家マンガでは他にはジャンププラスの「モノクロのふたり」が面白いのだけど、主人公が背景描きというのも面白い。アシスタントの仕事のようだけど、迫力ある背景というのはアニメでもそうだけど貴重なものだから、ジブリアニメの背景美術の男鹿和雄さんの画集は多分持っているので、主役のような背景というのは面白いなと思った。そういえば五十嵐大介さんもキャラクターを描くより背景を書いている方が楽しい、ということを言っていたし、背景に注目していくという方向性はあるよなと思った。
「シテの花」は能楽師を志している元ダンサーの少年が主人公なのだが、少年誌で能楽が取り上げられるのは初めてらしく、いろいろ勉強になるなあと思って読んでいる。モーニングで「ワールドイズダンシング」という少年時代の世阿弥を主人公にしたマンガがあってあれはあれで面白かったのだけど、現代の伝統が確立した時代のお能の世界をいうのは興味深いとは思っていたので、読んでいて引き込まれるものがある。
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Twitterで文化資本の話が展開していくうちに、「ちゃんとする」という価値観は中産階級のもので、「カッコいい/ダサい」というのが上流階級の価値観だ、というのが出てきたのだが、まあこれはわからなくはないなと思った。つまりは「ちゃんとする=型通り」に一生懸命な中産階級やそれを目指すそれより下の階級の倫理は「ダサい≒一般ピーポー」である、ということだろう。そしてその緊張感につけ込むのが「マナー講師」である、という話である。
まあつまり、「ちゃんとする」ということはできて当たり前であって、その上の「破格の美」が達成されなければ「カッコよくない」、ということだろう。まあこういうことができるのはある意味若さの特権であって階級的なものという部分はあまり意識していなかったが、言われてみたらそうかもしれないとは思う。
例えば中産階級でも家に花は飾るかもしれないが、広大な庭を持ってその中で汚い格好をして薔薇の品種改良とかに夢中になってるのが上流階級、みたいな感じである。
しかし日本という国では江戸時代から朝顔を掛け合わせて新しい品種を作るのが庶民の間で大流行、みたいな国であって、そういうことにあまり階級差がないのが特徴だということはあると思う。コミケでもアラブの習慣や食事について異様に詳しい小冊子を売っていたら政府関係の人が来て何冊も買って行ったとか、素人も趣味という無性の努力で専門家も唸らせてしまう、みたいなことはよく聞く話である。アマチュア天文学者が彗星や小惑星を見つけた、という話も以前はよく聞いたが最近はどうなのだろうか。
カッコよくなるためには何か突出した部分が必要で、「ちゃんとする」ことができるだけではダメなわけだが、実際の上流階級にも突出したものを持てない人はいくらでもいるわけで、(逆にピアノも弾けるしラグビーでも大学で主将、みたいな人もいたりする)「普通」の範疇の中にそういう人がいくらでもいるのが日本らしさだろうとは思う。
だから都会の有名大学で感じる「文化資本ギャップ」みたいなことも本質的にはどうかと思うところがあって、確かに私も大学に入ったときのオリエンテーションで集まった時に、初対面の新入生同士がバッハやモーツァルトの演奏について議論していたのを聞いた時には大変なところに来てしまったなと思ったが、いろいろ話してみると自分が普通に知ってることを知らなかったりすることは多いし、また多くのものを持っているからと言って変な威張り方をしないので付き合いやすい、ということがあったりして、そんなに立たないうちに話は普通に合うようになっていく、という部分はあった。まあこれは性格的な問題もあるのだろうとは思うけれども。
ただなんだろう、私が学生時代の80年代というのは人間の評価基準が多様だったというか、好きなことをやっている人たちが評価されたりとか、収入や社会的地位だけで人を測らない(測るのはダサい)という空気があったのだけど、まあこちらが歳をとってきたせいもあるけれども収入や社会的地位しか評価基準がなくなってきている感じもして、そういう方向にあまり努力しなかったことをちょっとしまったなとは思っているところはある。まあ学生時代にそういう自覚をしていたらいい会社に就職して収入を上げる、という選択肢を取ったかといえばどうかなとは思うのだけど、きっと今の人たちは我々の頃よりずっとそういうことが大変なんだろうなと思う。その分、「いいところに就職した若者」は「我が世の春」なんだろうなと思うが。
まあこう書いてみるとやはり自分は文化的多様性をどんどん追求していくしかもうないんじゃないかという気もするのだけど、その基地としての日本及び日本文化というものに対する理解をもっと深めていかなければならないということもあるよなと改めて思ったりしている。
「近代についての本質的な批判」と「「日本の」近代主義・リベラリズム・フェミニズムの軽佻浮薄さに対する批判」/「国学によって純粋化される前の神道」に感じてしまう近代の我々の違和感
Posted at 25/08/18
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8月18日(月)晴れ
私自身としては今日はお盆休みの最終日。世の中はもう動き出しているので家の前を高校生が通ったり、ジャンプ・スピリッツ・ヤンマガが発売されたりしているわけだが、自分の仕事としても銀行に行ったり税金を払ったりそのほかやることはある。
このところ左肩が痛かったのだが、今朝車を運転してジャンプなどを買いに行ったりしたときにどうも首筋も痛いなと思い、痛いところが広がった感じ。歳をとってくると常に体のどこかがおかしいわけだが、逆に若い頃よりはそういうことが気にならなくなり、気にしないでいるうちに治ったりすることも多い。人間が生きるということは逆に言えば、常に小さな痛みを抱えながら生きるということだなと思う。そんな言い方をするとちょっと哲学的な感じにもなってしまうが。ただ、首の痛みは気になる。木曜日に整体にいくのでそのとき調整できればいいと思うが、生活の中で変えられることがあったら変えておきたいとは思う。
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「右翼雑誌の舞台裏」を読み終わったので何か読もうと思い、垂加神道が気になるなと思って図書館で探したのだが、他にも気になるタイトルがあったので2冊借りた。
「日本思想体系39 近世神道論 前期國學」(岩波書店、1972)と「現代日本思想体系32 反近代の思想」(筑摩書房、1965)である。
前者の「近世神道論」で取り上げられている著者は林羅山、吉川惟足、吉川従長、度会延佳、山崎闇斎、増穂残口、藤塚知直、松岡雄渕、「前期国学」では戸田茂睡、契沖、荷田春満、賀茂真淵。後者は冒頭の解説が福田恒存で、「文明開化批判」として夏目漱石、永井荷風、谷崎潤一郎、「近代への懐疑」として保田與重郎、亀井勝一郎、唐木順三、山本健吉、「近代の克服」として小林秀雄が取り上げられている。
とりあえず読み始めたのは福田恒存の解説、「反近代の思想」なのだが、これ自体が相当ボリュームがあって読み応えがある。43ページもあるので所収されている文章と同じくらいの量になる。また、文末に西尾幹二氏への謝辞があり、この本の編集にも相当西尾氏が関わられたらしいことがわかった。西尾氏といえば21世紀初頭の保守の論客、スターの1人というイメージが強いが、その50年前からいろいろな仕事をしていたのだなと思う。
福田恒存の解説を読んでいて思ったのは、この「反近代の思想」というのは大まかに言って今の「保守の思想」ということになるかと思う。ただ、西部邁氏らの本以降取り上げられるようになったエドマンド・バークなどイギリスの保守主義についてはこの本では取り上げられてなくて、近代の本質を問う、みたいな方向に行っている感じではある。バークの保守主義は厳密にいえば反近代主義ではなくて漸進主義であるから、大きくいえば近代主義と言えなくはない部分もある。その辺りがこの本の趣旨には合わなかった、ということかもしれない。
現実問題として、私自身にも反近代科学、反西洋近代主義なところはあるのだけど、科学を完全否定するわけでもないし、科学技術を完全否定するわけでもない。また議会制民主主義を直ちにやめろと思っているわけでもない。だから保守主義という考えは自分に馴染むところがあるのだけど、参政党がやっているような反科学主義みたいなことも、やり方は稚拙だと思うしああいうやり方では素朴な近代主義の人たちの共感は得られないよなあとは思うけれども、やりたいことはわからなくはないところもある。
これは「日本人ファースト」についてもそうだし、「はっきり言い過ぎ」みたいなところはあるが、日本ではまず日本人を大切にすべき、というのも当然だとは思う。逆に言えばあのような形で素朴なパトリオティズムや素朴な反科学主義であれだけの支持が得られるというのはある意味予想外ではあったなとは思う。
福田恒存を読んでいてなるほどと思ったのが、「反近代主義」と言っても二つある、という話。一つは「(西欧)近代」そのものを問い直す、自由とか民主主義ということそのものを問い直す本質的な議論であり、もう一つは「西欧から直輸入された日本の近代主義」に対する批判というものだ、ということだという。福田に言わせれば日本の近代主義の中身は前近代、つまり「封建時代」への批判・攻撃だけでできている軽佻浮薄なものとしていて、まさに今の「日本のリベラリズム」や「日本のフェミニズム」の現在の醜態と同じだなと思ったりした。
ときに起こる「保守的に見えること」や「男性中心的に見えること」に対してリベラルや(和製)フェミニストは嬉々として集団で襲いかかるわけだが、反論されるとすぐに馬脚を表して「非モテだから」とか差別的な言辞を弄することが多いわけである。つまり彼らは「封建制の残滓」「日本帝国主義の残滓」「家父長制」などの敵を見たらすぐに襲いかかる肉食獣みたいなもので、反撃されると出てくるのは口汚い差別的な言葉がほとんどなわけで、それらが本質的にどんな意味を持ってるかさえ理解してないわけである。
これは日本企業などが従来事なかれ主義なことが多く、総会屋などにつけ込まれがちだったのと同じで、一度謝ったら無限に叩く姿勢になるわけである。
福田恒存はそれに対し、西欧では近代の本質的な問題について深く考えらててきたから日本の軽佻浮薄な近代主義者とは違う、みたいにいうのだが、現代では欧米もフェミニズムや行き過ぎたポリコレなどによって社会が分断されつつあり、日本と似た状況になってきているのは皮肉だなとは思う。
ただ、「近代」を問い直す問いが深い本質的なものになるのと同様に、「リベラリズム」や「フェミニズム」に対する運動レベルでない哲学レベルでの問い直し、批判は、今後ともずっと必要な作業だろうとは思う。
***
「近世神道」の方を読んでいた思ったのは、神道のことなのに漢学者である林羅山や山崎闇斎が「神道とは何か」みたいなことを延々と研究していたりするのがなんだか不思議というか違和感を持つわけなのだけど、江戸初期においても「東照大権現」の神号を定め朝廷に勅許を願い出たのも天海僧正の働きだし、神道の本のなかに侶や漢学者がたくさん出てきて、なぜ自分たちの本務と関係ないことについてこんなに書くのかと戸惑うわけなのだが、そういう感覚自体が漢学や仏説を漢意として退け、純化された日本の信仰を記紀から読み出そうとした国学以降の決めつけのもたらしたものではあるのだよな、と思い直した。
我々はすでに本居宣長以降の時代に生きているので彼の漢意(からごころ)批判を読んで、そうしたものを排除した形で純粋な日本的な考え方を取り出す、というのが当たり前だと思っているからそういうものに対して違和感を感じるのだよなと思う。
神道はもともと経典宗教ではないので平安時代の理論化の段階からすでに仏教僧がになっていて、その後吉田神道など神道の解釈の流派は様々出てきてはいるけれども、直接には垂加神道などの儒者が関与した江戸初期の神道が国学者らの神解釈といろいろに関わり合って結果として国学が純粋主義を推進するようになったわけで、ただ本居宣長はそうした削る方向での解釈になっているけれども、平田篤胤の復古神道になるとまた青人草とか新しい概念が出てきていて、明治の国家神道の形成と民間神道(教派神道)との分離に至ったりするわけである。
具体的には林羅山の「神道伝授」が取り上げられていて、これは彼が神道を朱子学的に解釈したもの、とされているようだが、ある意味合理的な朱子学とは違う神道にある神秘主義みたいなものをどう表現するか、が読んでいて面白い気がした。まだ少ししか読んでないのだが。
まだ左肩が痛く、全体的に普段の疲れとお盆の疲れ、夏のバテが取れていない感じがする。今日はゆっくりやろうと思う。
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