国中が天安門になったイラン/「久米宏」再論:彼はなぜ最後まで「権力」を引き受けなかったのか
Posted at 26/01/15
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1月15日(木)晴れ
今日は昔なら成人の日だが、平日。朝はマイナス5.6度まで冷え込んだが、昨夜iPhoneを職場に忘れて帰ったので気温が分からず、少し冷え込んでるけどまあめちゃ寒でもないなと思っていたのだけど、思ったより冷えていたんだなと後で思った。
昨日は午前中に会計の仕事をやってもらいながら自分は細々したことをやっていたのだけど、午前中にクリーニングを受け取りに行ったら(いつも出しているところが木曜休みになったので忘れずに)行列になっていたので仕事の順番を変えて先に銀行に行き、資金を補充したり支払いの資金を用意したり。それから郵便局に行って支払いの振り込みをし、西友でお昼の買い物をしてから再度クリーニングを受け取りに行った。一度帰ってきてから打ち合わせをしてその後昼食。仕事のし忘れに気が付いたので2時過ぎに出て銀行で通帳の切り替えをし、その後ツタヤに行って板場広志「俺以外全員無職」の3巻を買った。
夜は少しうだうだしてから帰り、報道ステーションを見ながら夕食を食べていたが、解散の話で盛り上がっていた。それからイランの実情についてのレポートだったが、どうも報道ステーションはこの話題については抑制的な報道になっている。
ただそこで伝えられたCNNの情報はかなり凄いことを言っている気がしたので今朝サイトを見てみたらかなり深刻な事態になっていることがわかった。
https://www.cnn.co.jp/world/35242685.html
この記事によると、イランは今回の抗議行動を昨年のイスラエルとの12日間戦争の延長線上と捉えていて、抗議活動を行う人たちを外国勢力の手先と見做し、殺害やむなしと見做しているようだ。
低空飛行のドローンで監視体制を強め、抗議の声を上げる人々に対して動画を公開して「全て監視下にある」とする動画を公開しているのだという。また、全土でインターネットが遮断されているだけでなくマスク氏が無料化したスターリンクの使用もできないようになっていて、軍事技術のレベルで妨害が行われているのだという。つまり、今イランが行っていることは警察レベル、治安レベルの鎮圧、制圧ではなくて、「声を上げる国民=外国スパイ」との戦争だから、彼らの無力化が目的になっていると言うことなわけだ。
簡単に言うと、今は「イラン全土が天安門になっている」ようなものだと思った。報道ステーションでは死者は数千人規模と言っていたけれどもおそらくは1万人規模にはなっているのではないかと言う気はする。これは後になってみないと分からないが、もし鎮圧されてしまったら証拠はもっと消されるだろうからよく分からなくなるし、政権打倒が成功したら逆に数十倍に増える可能性もある。
ロシアや中国に比べてまだイランは発言の自由はあるように見えていたし、だからこそイランに住む人たちの生々しい不満の声も聞こえてきたわけだが、デモが鎮圧された先にはアサド政権のシリアのような凄惨なことが起こり、国外亡命者も増えそうだけれども一体どこなら脱出可能なのかも分からないのが困ったところだ。西部ならトルコやアルメニアに逃げることも可能だとは思うが、その他の地域だとどうなるのだろうか。
イランの弱体化でイスラム過激派の動きがかなり抑え込まれているところを見ると、やはりイランは体制が変革された方が世界的に見れば平和は実現すると思うが、中国やロシアがどう出るかは分からない。世界の今後はまだ分からないことが多い。
***
今朝は4時過ぎに起きたが、お茶を飲んだりした後着替えて車で出かけ、職場に出てiPhoneを取ってきた。それから少し離れたセブンに車を走らせてヤンジャンを買うつもりだったが、考えてみたら合併業で今週は休刊だったのだ。ボスのカフェオレだけ買って帰宅した。用事は朝のうちにやることが一手間で片付いたのでよかったのだが、何を書こうかまとまらなくてかけないでいたのだが、とりあえず書き始めた。
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亡くなった久米宏さんについていろいろ考えていたのだけど、どうも何を言ったらいいのか分からないというか、何を言っても焦点からずれてしまう感じがあって、かといってマスコミが変に持ち上げて神格化している感もあるし、ネットを見ていると私のタイムラインではほぼ戦犯扱いなので、今更自分が何を書けばいいのかと言う気がするところはある。
ただ、重要だと思うのは、昭和末期から平成初期にかけての「政治改革の時代」に、彼が大きな役割を果たしたと言うことだけは確かだと言うことだ。それをプラスに評価するかマイナスに評価するかは立場次第ではあるのだが。
もう一つは、なんと言うか口が軽いというか、所沢のダイオキシンの問題であるとかステロイド製剤の問題であるとか、巷間に出回っているようなそんなにしっかりとした科学的根拠のないような話を権威があるかのように伝えて大規模な報道被害を起こしている、ということも重要だと思った。
彼は見かけがかっこいいしかっこよく振る舞うのが大変上手い、いわゆるちょいワルオヤジみたいなのも久米宏バージョンみたいなのがあって無頼を気取ったり団塊の世代的なかっこよさみたいな、あるいは人は遠慮して言わないけど自分は本音を言っちゃうからね、みたいなサバサバ菅みたいなところもあった。
多くの人が彼の言説を信用したと思うのだが、今考えると特に根拠がなかったり、党派性が強すぎることも多かった。しかしそれを人々が信頼したのは、つまり彼がかっこいいからだろう。
つまりそれは、本来の意味での「ルッキズム」であり、「かっこいい=信頼できる」と言う誤認を最大限利用した人だったと言うことなのだろうと思う。
ただそれはちょいワルの、彼自身が表現する仕方で言えば「チンピラ」のかっこよさであって、大人のかっこよさではなかった。そう言う意味で大量に発生した彼のエピゴーネンは「大人になりきれないチンピラ未満」の与太者だと言うことになる。
彼が周囲の反対を押し切って「ニュースステーション」をやめ、やがてテレビ界から去っていったのも、要するに彼が自分自身がオワコンであることを自覚したからなのだと思う。しかし彼に憧れてチンピラを目指した人たちが報道に跋扈するようになって、日本の報道は極端にレベルが下がってしがったように思う。それを彼の責任と言えるのかどうかは難しいが、その被害は今なお国民が受けている。
今なおテレビに溢れているやたらと本音を言いたがるアナウンサーや政治家、根拠の怪しいことを振り回すテレビや議員たちと言うのも、極端に言えば彼が元祖のような存在なのだと思う。彼らに取っては久米さんは偶像だから、神格化しないわけにはいかないし、それが批判されることは自分自身が否定されることに近いから、そうした言説にムキになるのだろうと思う。
ただ中国情勢やイラン情勢などを見ていても、今の日本はそんなチンピラを相手にしている余裕はないわけで、そんな過去の存在について改めて論じて意味があるのかと言う気もしてくる。
しかしかっこいいと認めると言うことは、自分自身の中にもやはり久米さんを評価する部分があるからそう言うことを言うわけで、それはやはり時代の空気というか、彼のような存在をかっこいいとする空気の中で自分も生きてきたからだろうとは思う。
彼は最後まで自分は批判者の立場、チンピラとして世の中に文句を言う立場を守りたかったわけで、そう言うところは団塊の世代がいつまで経っても抗議者のポジションを持ち続けようとしているところに重なる。彼は実質的に権力者であったし彼のエピゴーネンたちとそのまた信者たちに取ってはやはり権威であるわけだけど、そう言う存在であること自体を彼がちゃんと引き受けていたとは思えない。
権力者というのは、誠実な人間に取ってはその役割を果たすのは並大抵のことではないだろう。権力を引き受けて世の中を良くしていこうとすることは、まさに、高市さんがいうように「働いて働いて働いて働いて、働いて参ります」というしかないに違いない。そしてその座をかっこよく務めることはなかなか普通は難しく、泥臭くならざるを得ない。高市さんもトランプと米軍の軍艦でアピールしてぴょんぴょん飛び跳ねたり李大統領とドラムを叩いたりして面白くカッコよくは見せようとしているが、基本的には泥臭く頑張っているわけである。それがわかっていたからかっこよさ=スタイルを重視した久米さんはそういう立場に手を出さなかったのだろう。例えば彼が選挙に出れば相当な票が入って政界でも重きをなす存在には当然なり得たと思うが、そうしなかったのは彼の美学でもあり自分の能力に対するある意味での誠実さの表れでもあったのだと思う。テレビ局の経営陣に参加するようなことがなかったのも同じことだろう。
彼の本質はそういう意味でチンピラであったし、そのかっこよさで最後まで押し通したのに、周りが彼を権威に祭り上げて、それが故に批判も集中するようになり、彼自身はそのやり方の限界は感じていたのだろうと思う。しかし彼が最後まで「大人の責任(=権力を引き受けて批判されること)を引き受けないチンピラ」としてのスタイルを貫いたことは、結構禍根を残した気はするわけである。
正義の名を負った権力が腐敗するのは、今のアカデミアで自分たちに有利な人事が横行したり、批判者を不勉強だと叱りつけたり、言論よりも裁判に訴えたりするような手法が横行していることでもよくわかるけれども、そんなものに堕さなかっただけ、久米さんは誠実だったという気はする。まあそんな悪代官のような連中が一番カッコ悪いからでもあるだろうけど。
クラッシュのジョー・ストラマーは「Punk is attitude、not style.パンクとはカッコつけではなくて生きる姿勢なんだ」と言ったけれども、久米さんは「Press is style, not attitude.」であった気がする。彼は「かっこいいstylish」であるままでテレビや報道を走り抜け、彼の本当の生き様はそこからは見えてこなかった気がする。あるいはstyleこそがattitudeであった、というべきか。
まあこんなことを書いても彼について十分論じた気がしない。そういう意味で彼は日本にとっても我々の世代感覚にとっても相当大きな存在だったということなのだろうと思う。もちろん良い意味でもそうでない意味でも。
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「知性の復権」180/269ページ。第五章「戦間期からの教訓」に入った。いろいろ思うことはあるがまだ的が絞れていないのでまた改めて。
久米宏氏の訃報と「報道のバラエティ化」「日本政治の変動」の功罪/レアアース問題を理解するために基本的に押さえておきたいこと/衆院解散と国民民主党/アメリカ保守派と日本近世思想の意外な近さ
Posted at 26/01/14
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1月14日(水)晴れ
晴れている割には冷え込んでいない。天気図を見ると、前線が通り過ぎた後、南から高気圧が入ってきたようだ。この時期にはあまり見ない気圧配置。寒くないのはありがたいと言えばありがたいが、少し落ち着かない気持ちもある。
昨日は午前中会計の仕事をお願いしながら、書類を取りに行ったり、自分の仕事も進めたり。昼食後、なんだか疲れが出て少し休んだ後、銀行へ行って記帳したりお金を下ろしたり、西友で朝食の買い物をしたり。
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昨日からいろいろ考えていて少し考えていたことなどをいくつか書こうと思うのだけど、一つは「レアアース」について、もう一つは衆院解散、それから亡くなられた久米宏さんについて、またオレン・キャスらアメリカの反自由貿易主義・共同体主義の思想家について、である。どれもそう簡単にまとめられる話ではないので書きにくいが、まずはレアアースについて。
レアアースというのは、バッテリーやスマホに使われるとかその用途の問題から論じられることが多いが、まず化学的な根本から言えば、日本語でいう「希土類」のことである。希rareな土earthだからレアアースなのであって、科学で希土類というのは学ぶのだから希土類といえばいいのにとは思う。
希土類というのは周期表の第3族、つまり左から3列目の金属元素のことであり、21Scスカンジウム(以下原子番号・元素記号・和名の順に表記)、39Yイットリウムと57-71のランタノイドの全部で17元素を指す(同じ3族でもアクチノイドの15元素は入らない)のだが、天然では存在しない元素もある。
以下、こちらの記事を参考に。
これらの元素は地殻存在比(つまり地球の地殻に占める元素の割合)が一般に低い(つまりレア)が、イットリウム(20ppm)やスカンジウム(30ppm)のように存在比だけなら割と一般的な鉱物であるいえば鉛(15ppm)より高い場合もある。地殻存在比が高い元素は酸素(46.6%)と珪素(27.7%)で、それが珪酸化合物を作って土や岩石の大部分を占めているわけだけど、レアアースも珪酸化合物になって存在しているものは化学的に安定していて精錬抽出することが難しいということのようだ。
したがってそれ以外の形で存在している炭酸塩、リン酸塩、酸化物、イオン交換性粘土の形で存在しているものから回収されているわけだが、中でもイオン交換性粘土の形で存在しているものは希土類が表面に電気的に吸着しているだけなので、鉱物自体を分解せずに弱酸を用いたイオン交換によって希土類を回収できるのだそうだ。このイオン吸着型鉱床は比較的存在比が高い軽希土類だけでなく存在比が低い重希土類(元素番号64-71)も含まれているため貴重なのだが、それは今の所ロンナン、シュンウーと言った中国南部の鉱床した見つかっていないのだという。(ラオスなど他の国でも発見はされているようだ)
鉱床の種類は大別して火成岩や熱水活動によって形成された火成鉱床と岩石の風化によって形成された風化鉱床があるが、イオン吸着型鉱床は後者である。
南鳥島近海の5500メートルの海底に存在するというレアアース泥は、「海水中に溶け出したレアアースが、リン酸カルシウム(魚の骨や歯の化石)に吸着し、それが深海底に長い年月をかけて堆積した」もので、「汲み上げた時点で粉砕の必要がなく、さらに特定の粒径にレアアースが濃集しているため、簡易的な遠心分離によってさらに品位を高めることが可能」だというから、5500メートルという深海の海底から汲み上げるという最大の技術的困難を克服できれば中国で問題になっているような環境的な問題もなく、また「EVのモーターや防衛産業に欠かせない「ジスプロシウム(Dy)」や「テルビウム(Tb)」といった「重希土類」」が多く含まれているというのも朗報である。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2445713db7ff0ee10e3bb51ef9e40e5317515a48
上の記事によれば今回中国が輸出禁止をかけたのは62Smサマリウム、66Dyジスプロシウム、65Tbテルビウム、64Gdガドリニウム、71Luルテチウム(上記記事ではルテニウムになっているがこれは別元素で誤り)、21Scスカンジウム、39Yイットリウムの7種で、(上記の記事はこれらを重希土類としているが、サマリウム・イットリウム・スカンジウムは重希土類ではない)これらのレアアースもまた含有量が具体的にどの程度かはわからないが、南鳥島での採掘が成功すればかなり解決するのだろうと思う。まさにその意味では起死回生の一手だということになりそうだ。
そうなると心配なのは例によって中国の妨害だが、今のところはアメリカとの共同開発という方針のようなのでそこはある程度心強いだろう。このあたりは国粋的な方面からクレームがつく可能性もなくはないが、南満州鉄道の経営を共同でやろうと持ちかけたアメリカの実業家ハリマンの申し出を小村寿太郎が却下したことがのちにこの地の情勢を悪化させた原因の一つだと考えられなくもないわけで、経済政策も地政学的な観点が重要だと改めて思う。
レアアース問題ではこのくらいの基礎的な理解があるとかなり話についていけるのではないかと思ったので、簡単にまとめてみた。
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通常国会冒頭での衆院解散がほぼ動き出したようなのだが、本来は本予算を成立させてからにすればいいと思うのだけど、どうもこれは外交日程等で衆院に安定した勢力を築いておく必要が出てきたという説が説得力があるように思った。参院はいずれにしてもあと2年は過半数割れが続くので、衆院だけでも過半数をとっておけば予算の自然成立や衆院の優越などでなんとか乗り切れるということはあるのだろうと思う。
またそうなると3月末での年度内の予算成立が難しくなるが、これもここ数十年の間に何度も暫定予算は組まれているとのことで、一番ひどいのは海部内閣の時に本予算成立が6月になり、暫定予算の補正まで組まれたということがあったようだから、順調に自民党が勝てば選挙日程によれば間に合うか間に合わないかの境目、くらいでなんとか行くのではないかという観測があって、これもまあそれでいけるかなとは思った。
気になるのは、高市政権と協調姿勢をとってきた国民民主党が解散に難色を示していることで、今選挙をやれば国民民主党も協調路線を強調すれば割と議席は取れるのではないかと思うのだが、石破離れで吸収した票が高市人気で再び奪われることを恐れているのか、それともまた連合にネジを巻かれて対決路線を選ばされたのか、それとも「国民生活第一で切れ目ない予算を」というスジ論で反対しているのかがよくわからない。もちろん名目はスジ論に決まっているが、その本音のところが見えてこないのが気になるなと思った。
公明党と立憲民主党の選挙協力というのはもはや断末魔という感じもしなくはないが、逆にいえば立憲の延命のためにはそれしか手はないかもしれない。公明はもう自民と組みにくくなるが、その辺はいいのだろうか。まあ、石破さん周辺など自民党左派リベラルとの再結集みたいな形を狙っているのかもしれないが、自民党を割るというのは昔と違って結構難しくなっている印象はあるので、どうなるかはわからない。
私としては自民党が過半数を取り、維新と連立はどちらでもいいが参院を考えると必要かなとは思う。そして国民民主党が健全野党として参政党と共に国会に大議席を占めると良いと思うのだが、極端な左翼リベラルは今回は徹底的に退潮してもらうことを望みたいと思っている。
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https://news.yahoo.co.jp/articles/345cf4c442f54d36d23130e86205dfa97de1dad3
久米宏さんが亡くなった。彼は「ニュースステーション」の印象が強いけれども、元々は「ザ・ベストテン」や「ぴったしカンカン」などの歌謡番組・バラエティの司会で一世を風靡した人で、報道バラエティへの進出は「TVスクランブル」以降だと思うが、この時は横山やすしさんを相方にしてお互いに歯に衣を着せぬやりとりをしていたことが思い出される。逆にいえば、ここで終わっていれば彼も毀誉褒貶に包まれた人、ということにならずにバラエティ氏に大きな軌跡を残した人、で終わっただろう。
「ニュースステーション」はニュース報道にバラエティ要素を持ち込み、それまでも記者出身のキャスターが割と言いたいことを言うというのはあったがバラエティ畑のアナウンサーがある意味無軌道なノリも導入して「ニュースを斬る!」みたいな形にしていくスタイルは当時は斬新で、そういう意味では昨今強く批判されるようになった「面白くなければテレビじゃない」という路線を報道に持ち込んでニュース報道というものをある意味変えてしまった人だと思う。
彼の功績はおそらくは「ニュースや報道を身近なものにした」と語られることになるのだと思うのだが、逆にいえば興味本位の、また反権力的で半ば無頼、また哄笑的なスタイルでニュースを扱うある意味80年代的な方向性をある意味でのスタンダードにしてしまったという面もあり、正直いって功罪相半ばする、見方によっては、というより私などから見れば「日本のニュース報道のレベルを下げた」罪の方が大きいように思う。
埼玉のダイオキシン問題での報道による風評被害など、おそらくは打ち合わせ不足と勘違いによる失敗もあったし、あの元気よくバッタバッタとニュースを切り分け権力者を批判していくノリは、元気はいいけれどもある意味ハメルンの笛吹きのような、日本をどこに連れていくのだろうという不安感もまたもたらしたものだった。
ニュースステーションが放映されていたのは1985年から2004年まで、中曽根内閣の時代から海部・宮沢内閣を経て非自民連立の細川政権が成立するが、この辺りでの世論を領導したのはニュースステーションだったと言っていいだろう。だからある意味久米さんは非自民政権の生みの親の一人、ということもできる。側内閣を経て非自民政権は崩壊し、村山自社さ政権から橋本政権、小渕政権・森政権ときて「自民党をぶっ壊す」小泉政権が成立するが、このあたりの時も影響はかなり大きかったように思う。そして小泉政権途中の2004年に降板することになったが、これは小泉政権下での政治や社会の「保守化」に嫌気がさしたという部分が大きいのではないかという気はする。その意味でもう彼の時代は終わったのだろう。それなのにその後をついで「報道ステーション」のキャスターになったのもプロレス・バラエティアナウンサーの古舘伊知郎氏だったし、基本的にその路線は受け継がれてしまい、より番組に対する批判も強まるようになったのではないかと思う。
むしろ、NHKの報道出身の大越健介キャスターがその後を継いだのは意外だったが、ある種の揺り戻しだったのかもしれないけれどもただ左派擁護的な路線はこのところ特に強まっているように思う。私も昨日はきっと取り上げるだろうと思って報道ステーションを冒頭見ていたのだが、あまりに「久米宏・・神!」みたいな作りになっていたので鼻白んで途中で見るのをやめた。記事を見ると40分も久米さん関連のことをやっていたようなので、見るのをやめたのは正解だったと思った。
むしろ今や久米宏氏は批判的に功罪を検討すべき時期であるはずなのだが、能天気に賛美一色になるというのはある意味左派報道の断末魔なのかもしれないという気もする。彼が政治や社会、報道にもたらしたものは何だったのかは、もっとちゃんと検証されないといけないと思う。
***
「知性の復権」でトランプ政権を支える二つの柱、イーロン・マスク氏らテクノリバタリアンの勢力については昨日書いたが、オレン・キャス氏らアメリカン・コンパスについてのところを読んだ。157/269ページ。
オレン・キャス氏については彼が来日した時の記事について以前も書いていて、それは結構反響があったのだが、その時点では結びついていない問題意識があったなと今では思う。
https://note.com/kous37/n/n7dc577ef1e9d
https://note.com/kous37/n/nff012168232b
彼の基本的な意見は「リベラルなアメリカの否定」なのだけど、上記の二つの記事を書いてから読んだ二冊の本でより理解が深まった部分があるように思う。一つは「世界秩序が変わるとき」なのだが、この本に言及した私の最初の記事は以下のリンクなのだが、他にもいくつも考察・言及した記事はある。
https://note.com/kous37/n/n46f8700a2cd1
キャスの主張は新自由主義の方向性で中国を市場に呼び込んだことがアメリカの苦境を招いているということで、戦後のトレンドだった自由貿易政策をやめて第二次大戦以前の高関税政策に戻ることが健全な製造業のアメリカを取り戻すためには必要だ、ということになるわけだ。そのアメリカの戦略について「世界秩序が変わるとき」は大変参考になったし、トランプ時代以降こそが日本が存在感を取り戻す時代になる、という指摘も頷けるものがあった。
もう一つは「近世日本の支配思想」で、これについて最初に言及しているのは以下の記事で、他にもいくつも書いている。
https://note.com/kous37/n/n52d68ac0ae29
この本で印象に残ったのは江戸時代の本当の支配思想は儒教・朱子学ではなく兵学である、という視点なのだが、その視点から見ると江戸時代の日本は将軍・幕府を頂点とする兵営国家であり、その中では「将軍から農民に至るまで全ての人に役割が与えられ」ていて、「その役割を果たさないのは「役立たず」であると強く非難される」というあたりであった。
つまり、役割があることによって縛られているという面もあるが、逆にいえばそれに励んで努めていればいい、という「居場所」や「やるべき仕事」「果たすべき義務」があり、また人は「家」によって職業が決められ、その職業は公権力によって守られるので、「隠居」した後も不安なく生きていける、というシステムになっていた、ということである。
そしてもう一つ、国学の思想の元になった垂加神道では、「死者は「天皇を守護する八百万の神々」の「末座」に加わり「天皇と国を守る神」になる」とされていて、それが靖国神社の「英霊=戦死した兵士たち」が「護国の鬼」となって「天皇と日本を守る」という「役割」を与えられているということだった。
またこれは私がそこから考えたところなのだけど、「人は死んで神(霊)になり、死んだ後も家族のことを見守っている」という発想は、ここからきたのだろうと思ったわけである。
この辺りが全くオレン・キャスが「人間の生きる意味は消費にではなく、一定の役割を担って自分の存在が認められ、将来の不安に悩まないで済む」ことこそが価値の基軸だ、というところと相当一致しているということだった。
キャスは来日の時に日本の知識人のことを「おくれている=新自由主義的である」と批判していたようだけど、彼と共鳴するデニーンによれば「理想の国はオルバン政権のハンガリー」であるそうなのだが、江戸時代から現代に至る日本人の伝統的な保守的考え方にかなり近いように感じたわけである。
もちろん「西半球孤立主義=モンロー主義≒ドンロー主義のアメリカ」という世界戦略というか、世界に対するアメリカの戦略についてなどについてももっと検討しないといけないと思うのだけど、アメリカの目指す方向と日本の伝統的な思想が実は結構マッチしているのではないかと思う。そういう観点からもこれからの日米関係について考えていければと思う。
「映像の世紀」:台湾の存立に日本ができること/アニメ「正反対な君と僕」第1回をみた:原作に忠実なアニメ化に愛おしさを感じた/「知性の復権」:テクノリバタリアンとアメリカ国家/不順な天候
Posted at 26/01/13
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1月13日(火)曇り
昨日は一日そんなにいろいろやったつもりはなかったのだが結構疲れが溜まっていたらしく、夕飯を食べた後少し横になったら起きられなくなって時計の8時半を確認した後何とか起きたら11時をすぎていて、それでも何とか起き上がって入浴して寝たのだが、夜やろうと思ってやり残していたことがあったので何だかそれが気になって変な眠り方なのに眠ってしまうという感じになっていて、結局4時に目が覚めた、というか起き出した。
居間に降りてきてお茶を飲もうとして仏壇にご飯をあげようと思っていたのに忘れていたことを思い出し、炊飯器の保温は切ってあったので少し茶碗に取って温めてから仏壇にあげて水と線香をあげて手を合わせた。部屋が何となく寒いので見るとつけたはずのストーブが灯油がなくて消えていて、ポリタンクから入れようと思ったらポリタンクにもなくて、外の灯油タンクに入れにいくにはパジャマでは無理なので着替えて長いコートまで着て給油。空は曇っていたけどところどころに星が見えていた。その時はマイナス0.7度だったが今見たらマイナス2度。今日は曇りのようだけど、曇っていてもマイナスというのは本格的な冬という感じ。最高気温は6度の予想だし夕方には雪ではなく雨が降るようで、どうも天気がよくわからないのだが。
https://sh-anime.shochiku.co.jp/seihantai_anime/
4時半ごろからアニメ「正反対な君と僕」の録画を見た。これを見るのが気になっていたというのはまあアレなのだが、夜見ようと思って寝てしまったから変に宿題みたいになってしまったのだった。第1話はアヴァンが長く、かなり状況説明的にいろいろなキャラの朝の様子を出してきて、主人公の鈴木の最初のコマに繋がり、マツエクとかマスカラの話を渡辺と佐藤としているときに隣の席の谷に無茶振りする、という原作通りの展開になり、「正直、大好きです」というモノローグでOPに入るという展開は見ていてちょっと感心してしまった。
作者の阿賀沢紅茶さんの少し個性的な絵柄も忠実に再現されていて、これは見ていてかなりアガる。今期のアニメの他作品を見ていて絵柄がいわゆるアニメ絵寄りになっているものがあり、ちょっとがっかりしたので特によかった。鈴木の声は最初は少し意外だったけどだんだん気にならなくなったのだが、谷の声が良かった。ぼそっという返しの絶妙さというか、鈴木の話しかけに「聞いてんのかな?」と思い始めるような絶妙なタイミングで返ってくるのを聞いてると、この「間」こそがこの作品の魅力なんだなと初めて気がついた思いがした。
偶然放課後昇降口で出会い、勇気を出して声をかけて一緒に帰ることになって、鈴木の好き好きオーラもあるけど谷が鈴木の手を握り、「夢?」と思うところなどは何というか気持ちが通じるという瞬間はこういうものだよなあと思ったり。興奮して眠れず返って寝坊して慌ててリビングに降りると朝ごはんと書き置きが置いてあって返って落ち着いて、ばっちり化粧してから出かけたのなら多分もうお昼休みかなと思ったり。
ピンク髪でばっちり化粧、爪もピンクでキラキラギャルな鈴木が実はそれまで無遅刻無欠席の健康優良児だったというのも面白いのだが、谷と歩いていたところを山田にいじられて「そんなんじゃないから!」と言ってしまった途端に谷が現れ、言い訳できないまま放課後に谷に「昨日のこと忘れて。ごめん」と言われる展開から、「私、谷くんのことが好き」とみんなの前でいい、「片想いしてんの。で、昨日一緒に帰ろうって私が誘ったの。それって、何かおかしい?」という時の鈴木の顔が何とも言えず、こうした表情が本当に原作通り再現されているのがとても良い、というか愛おしいものを感じた。
そして佐藤や渡辺や山田に背中を押されて谷を追いかける鈴木が、「なんだ。自分の気持ちをいうのってこんな簡単なことだったんだ」という場面の音楽や演出がよく、原作では「言いたいことはわかるけど気恥ずかしい」みたいな感じで読んでいた部分が「そうだよなあ」と思えて、アニメになってさらに良くなった部分だなと思う。
https://shonenjumpplus.com/episode/13933686331787337964
そこから先は最後までとてもよかったけれども、原作1話、というか実はジャンプラでも元々は読切で2021年に掲載されていた部分までがフルでアニメでも第1話になっていて、とてもよかった。原作で44ページ分、アヴァンでキャラ紹介、本編では心理描写を丁寧にしてちょうどこの時間で収まるのだなあと思う。来週以降の分がどのような構成になるのかはわからないが、とても期待が持てる作品だなと思った。
読み切りから考えるともう5年前のマンガが今アニメになっても十分面白いというのは、いいものはいつ読んでも(見ても)いいのだなあと改めて思ったりした。
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https://www.web.nhk/tv/an/butterfly/pl/series-tep-9N81M92LXV/ep/ZYJPGYQ1J1
昨日は「映像の世紀 バタフライエフェクト」の「激動 アジアの隣人たち 台湾 130年の傷痕」の録画を見た。
台湾の歴史、というのは小林よしのり「ゴーマニズム宣言 台湾論」などいくつか読んだことはあったが、これも初版発行が2000年でまだ李登輝が健在な頃だから現在とは既にだいぶ状況が違うので、昨今の台湾有事についての状況も併せて考えるといろいろ見どころのある作品だなと思った。
「台湾」という存在の難しさは、台湾を一つの主体として考えるのか、中国の一部と考えるのか、というところから論者の立場が違うわけで、それは帝国主義時代に日中の戦争によって日本に割譲された時から始まっていて、1895年から1945年までは日本の一部であり、この50年の間に日本化がかなり進んで、中国語(特に北京官話)が話せない人が多数になったことが、国民党進駐後及び蒋介石政権下において「本省人」が政治行政から排除された理由にされたのだ、ということはちゃんと認識してなかったなと思った。
最初の場面が蒋介石の銅像を倒すところから始まっていたのはちょっと驚いたが、2023年に台湾各地で行われたことらしく、逆にそれらを集めて展示する公園も作られたとのことで、現代史において蒋介石という存在はいまだに矛盾に満ちた賛否の渦巻く人物なのだなと思う。これは毛沢東ももちろん同じなのだけど。特に蒋介石は中国スケールで考えた場合と台湾スケールで考えた場合で全く見方が変わってくる人物ではあるなとは思った。
蒋介石の国民党軍が台湾に進駐し、政治や行政から排除された不満から二・二八事件が起こり、無差別に殺傷されるなどの歴史を踏まえれば台湾社会にとって外省人の存在はかなり負の存在なのだろうなあと思っていた部分はあるが、彼らもまた国民党軍に自分の意思かどうかもわからず連れてこられて台湾に来て、40年後にようやく故郷を訪問することが許されたがその地は全く変わっていて知っている人も誰もいなかった、という話はやはり悲劇だなと思った。「人を生まれた土地から連れ去る」ということがどれだけ非情なことか、というのは拉致被害者の話にしてもそうだが、あまり同情されにくいだろうという意味では外省人の兵士たちの悲しみや苦しみは想像にあまりあるものはあるなとは思った。
そして本省人たちは政治や行政から排除されたために返って経済で活躍することになり、国民党軍と共産党軍が散発的な戦闘を繰り返したり、蒋介石の大陸反攻が失敗したりして、中国が国連で議席を占めることによって台湾が国際的に孤立した後も、本省人の作り上げた経済力が底力になって台湾は生き残っていき、本省人初の総統となった李登輝が1989-90年代に民主化を行なって台湾を民主主義社会にして、「共産党=毛沢東」vs「国民党=蒋介石」という構図を超えて「大陸」vs「台湾」という構図に変えたわけで、「台湾問題」は新たなフェーズに入ったわけである。
国際的に見て、台湾は清朝の時代は清朝の一部だったし、日本に割譲されてのちは日本の一部になり、日本の敗戦後は事実上中国に返還されたわけだが国共内戦の結果「国民党の本拠地」となっていわば国民党政府に植民地的な支配を行われたわけだが、国民党政府が国際的な地位を失ってのちも経済力で生き残るということになり、国共それぞれの「一つの中国」を超えた「台湾」という新しい国民主体が生まれたわけである。この辺りは小林の「台湾論」でも描かれていたが、その象徴がTSMCであり、それが台湾が生き残りをかけて作った企業だということは21世紀もかなり進んだ現代になってははっきりしてきたことで、最後の締めとしてはなるほどと思わせるものがあった。
中国共産党政権としては台湾は存立の正統性に関わる存在なので「独立」は許さないにしても、すでに事実上の独立国家として国家承認する国は12に止まりながら190の国々と貿易関係があるというのは強かな生き残り戦略が成功していると言えるわけで、この辺りはすごいなと思う。
逆に言えば台湾がこのまま生き残るためには世界の国々との関係があって初めて中国の侵略を免れているという部分もあるわけで、日本もまたかつての宗主国としての責任も含めて、台湾の存立にできることをしていくべきだとは思った。
***
昨日は午前中、「正反対な君と僕」のアニメを見るのに備えて作業場に単行本を取りにいき、最初は1・2巻くらいでいいかと思ったが結局全8巻持ってきた。それからホームセンターに行ってスイッチを買い、洋菓子店でお菓子を少し買って帰宅して昼食。午後は少し休んでいたが、職場に出てスイッチをつけたり、また作業場に行って音楽を聴いたり、ネットで調べ物をしたりややダラダラしたのだが、マンガ単行本や雑誌の整理も少しはした。日があるうちに結構部屋の中も暖かいのだが、日が落ちると急に寒くなり、特に暖房の入れてない部屋はすぐいられなくなるので、冬は何か作業場でやるなら午後だなと改めて思ったり。最近はずっといつもは実家の居間で文章を書いているのだが、作業場でやるとやや自由な感じになる。それぞれに一長一短はあるが、上手く使えると良いなと思う。
日が暮れてから出かけて買い物に行き、夕食や朝食の買い物など。駅前のスーパーはいつも混んでいる印象があるが、この時間には比較的空いている。日本人らしきお母さんに連れられたミックスルーツっぽい子供を見かけたり。最近はこんな田舎でも増えているなあと思う。
***
先崎彰容「知性の復権」149/269ページ。第四章「アメリカと世界の分断」のところを読んでいる。この辺りはまさにリアルタイムのことを書いているので、著者の分析がどこまでの事実を踏まえているかで評価が変わってくるから、難しいところなのだけど、トランプ政権が主に二つの知的集団、ヴァンス副大統領を強く支持するシンクタンク「アメリカン・コンパス」(代表はオレンキャス、以下のnoteで取り上げた人物)と、イーロン・マスクやピーター・ティール(PayPal創業者)らに代表されるテクノ・リバタリアンによって支えられているところに注目したい、と著者は述べている。
https://note.com/kous37/n/n7dc577ef1e9d
著者はまずテクノ・リバタリアンについて分析していて、マスクやGAFAMらの提供するスマホに支配されている我々は「デジタル荘園の小作人」であり、彼らに支配・搾取されていながら気が付かないし、その支配範囲はプーチンのロシアの支配範囲を遥かに超える、と言っている。なるほど、そう考えてみるとGAFAMは荘園の本家、院や女院、摂関家や鎌倉殿みたいなものであり、その中間のシステムを提供しているIT企業たちが領家、コンテンツを提供している一般企業や個人は荘官や在庁官人みたいなものだと言えそうにも見えてくる。
しかしどうもその発想は労農派的な印象があるし、行政もまたそれらに依存しようとしているというのは中世国家が権門体制になっている感じではあるが、国際的な国家以外の領域をドメスティックな荘園に例えるのはちょっとわかりにくい感じはする。アメリカの圧力によって国家が支配しきれない領域が経済において成立してきたというのは90年台の日米経済戦争、構造協議による経済敗戦以降はずっとそうではあるし、もう少しわかりやすい整理の仕方があるような気はした。ただ、アメリカ政府とGAFAMの関係としては言える部分はあるように感じるし、マスクが一企業家を超えた大統領トランプに匹敵するような存在感を見せてきたことは確かではあるなと思う。
テクノリバタリアンのリバタリアニズムについては、マスクの「地球からの脱出」、ビットコインの「政府の信用が支える通貨からの脱出」など、「透明な可能性としてのアメリカ」を体現し、保守主義やリベラリズムの共同体主義を否定し、徹底的な個人主義を唱えるという特徴があるとしている。この方向性はいわゆる保守主義とは違うが、権威主義諸国やイスラム諸国の民主化は彼らにとっても利益も個人主義的方向も合致しているから、ウクライナやシリアやイランにスターリンクを提供するなどの手段をとって民主化運動を支援し、アメリカに利益をもたらそうとするトランプの路線とも共闘していけるところはあるのだろうと思う。ただマスクがDOGEをやめてトランプ政権とその面では決裂したように、彼らがともにwin-winな関係であるうちは共闘するだろうが、割とドライな関係ではあるだろう。
「アメリカンコンパス」についてはまだ読んでいないので、このことについてはまた改めて。
***
また雪が降ってきた。
「公共心と公正さの復活」こそが保守派および一部勝ち組以外の多くの日本人の要求なのではないか:「知性の復権」を読みながら/「豊臣兄弟!」の時代の尾張の農村/スピリッツとか「正反対」とか「軽音部」とか
Posted at 26/01/12
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1月12日(月・祝)成人の日 雪のち曇り
昨日はいつもと違うペースになってしまったこともあり、ブログ/noteを書き終えたのが午後になってしまって、いろいろと予定が変わった感じ。というか疲れが出ているみたいで、あまりいろいろなことに手をつけられなかった。ずっと家の中にいたのだが、一休みしてからようやく動き出して身辺を片付けたが、洗い物をしたり溜まっていた未整理のものを片付けただけで、新しい何かに着手するというところまではいかなかった。時々外を見たが雪が降ったり止んだりしていた。
月曜日が休日なのでマンガの発売日が変わっていることに気がつき、ジャンプは合併号で休刊、ヤンマガは13日火曜に出るがスピリッツはもう9日金曜に出ていたことがわかって、5時ごろ出かけた。その前にレコーダーが録画の赤ランプをつけているので確認したら「正反対の君と僕」の初回だったらしく、少しだけ見たが良さそうだった。というかかなり私の好きな作りになっている。また時間がある時に録画で見たい。
https://sh-anime.shochiku.co.jp/seihantai_anime/
岡谷に行く途中のセブンでカフェオレとスピリッツを買う。道には少し雪が積もっていて、溶けているところも溶けていないところもある。気温が零下だったから、なかなか溶けないのだろう。雪が降らないとスタッドレスタイヤの意味がないから少しは降っても良いのだが、かと言ってやはりスリップも嫌なので降らない方がいいよなとも思ったり。書店を少し見て、モールで夕食等の買い物をした。ラーメンが残っていたのでもやしでも入れて食べようかなと思ったり。
帰ってきてから、昨日は鏡開きだったのでお供え(とはいってもプラスチックのお供えの中に餅が入っているものだが)を開いて餅を取り出し、どうやって食べようと思ったけれども、トースターで軽く焼いてから鍋で茹でて、インスタント味噌汁の具を用意した中にお湯ごと入れて餅入りの味噌汁にして食べた。餅はやはりお腹に溜まるのでラーメンは昼にでも食べることにしてまた餅を入れようと思う。
***
https://www.nhk.jp/g/ts/P52L88MYXY/
夜は「豊臣兄弟」の第2回を見た。前回は兄・藤吉郎の中に潜む冷酷な恐ろしさみたいなものに気づいた小一郎だが、今回は幼馴染の直が祝言をあげるという日に家に帰ったら直が祝言を嫌がって逃げてきたかと思ったら、村が野盗に襲われ、さらに鉄砲を撃ったりするより強力なのが押し寄せたから、これは今川勢なんだろうかと思っているうちに祝言の振る舞い酒を一緒に飲んでいた百姓仲間が首を斬られて死んでいたり、小一郎が慟哭していたらそこに藤吉郎が現れて再び清洲に来るように誘ったり、自分がいなくなったら母も姉も妹も困るという小一郎に姉のともが実は婿を取ると言い出したり、藤吉郎の「盗み」は自分の薬のためにやってくれたのだと母が仄めかしたり(本当は違った)して清洲に行くことを後押ししたりするのだが、どうも惨事の後にしてはこのファミリー明るすぎるなという感じで、なんとなくファンタジーっぽく見えてしまった。
結局小一郎が直に一緒に来てくれということになり三人で清洲に出て行くことになるわけだが、仲間の死の慟哭からの侍になることを決める流れがわかりにくかった。信長=領主に対する不満を並べたてる小一郎に四の五の言わずに来い、という藤吉郎の主張はわからなくはないが、百姓であることの限界みたいなものを悟ったのか、あるいは本当はもともと侍になりたかったのか、もしそうならそれはやや説明が足りない気はした。
ドラマの時期としては信長の岩倉城攻めが出てくるから永禄2年(1558)ということになり、ともは1534年生まれとされているから24ということになる。藤吉郎は21、小一郎は18ということになる。ともは1568年に秀次を生んでいるのでそこから10年後ということになり、この時入婿したのが後の三好吉房なのかはよくわからないが。
https://www.steranet.jp/articles/103717
と思っていたら上の文章を読むとやはりこの時結婚した弥助はのちの吉房だったようで、役名も出てくるのでこの後劇中でもいろいろな活躍はあるのだろう。
小一郎秀長が信長に仕えた具体的な時期はよくわからないようだが、藤吉郎秀吉が信長に仕えたのはWikipediaによれば1554年ごろだとのことだが、「明智軍記」によれば「盗賊の疑いをかけられた秀吉が発憤して盗賊を捕らえ、それを知った信長が自らの直臣に取り立てて30貫文を与えた」という1話のエピソードが出てくるが、これは1562年のことだそうで、この辺りはいろいろな話を混ぜて物語を成立させているのだなと思った。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2026/01/11/articles/20250521s00041000123000c.html
こちらを読むと最初に村を襲ったのは「野盗」だが、その後にきた鉄砲を使うより凶暴な集団は「野武士」とのことなのでなるほど戦国時代の農民はいろいろ大変だなと思ったが、少し調べてみると彼らの出身地である中村は今は名古屋市西部だが、当時は「中村郷」の一部で上中村、中中村、下中村とあり、そのうちの中中村であったようだ。AI調べなのでそんなに当てにはならないが、当時の尾張の支配は中世荘園や国衙領の郷村の支配を超えた形で村落が形成されていたとのことなので、農民がどういう形で定住していたのかとか、もう少しこのあたりの郷土史を読み込まないと難しいなとは思う。
彼らのファミリーが近年の研究にあるような村の中でも一定の上位層の出身なのではないかというあたりも藤吉郎は勝手すぎるし小一郎は卑下しすぎているのでこのドラマでの設定はよくわからないところがあり、とはいえ小一郎が銭を貯めるのに熱心な描写があり、貨幣経済が相当発達していたのだろうことは察することはできた。
また、村の描写が近くに山があるように描かれているが中村は広大な濃尾平野の一角であって「あれじゃ守山だ」という声をTwitterなどでも読んだが、広大な平地では絵にしにくいのだろうなとも思ったのだけど、平地だからこそ野盗や野武士の襲撃には弱いということもあるわけで、そのあたりも実情に即して描いた方が良かったのでは、という気はした。
***
「ふつうの軽音部」94話の更新を受けて昨日はその感想を書いたのだけど、昨日はなんとなくバックナンバーを読み直していて、ちょっと先週のブログ/noteに書いた自分の見方が違うかなということに気がついたので書いておきたい。
https://note.com/kous37/n/ndee483c0a551
ヨンスが1年8組であることは1巻118ページの自己紹介に出てくるのだが、学年280人で8組だと1クラス35人になってしまい、本当は後で7組編成だと考え直していたのでは、ということを書いたのだけど、昨日6巻を読見直していたら番外編192ページに8組の女子生徒が鷹見に話しかけてくる描写があり、やはり8組編成は間違いなかったのかと思った。またこれは先週コメント欄で指摘を受けたのだが、鳩野と同クラの矢賀緑がヤ行なのに出席番号が33番(2巻150ページの自己紹介)なので35人学級と考えられるのではないか、ということもあり、やはり35人8学級という編成でいいのかと考え直している。
実際の大阪府立高校について少し調べてみたらやはり40人学級のようなので、作中の谷九高校は現実より配慮された高校であると考えて良いのかもしれない。まあ、なんでも予算を削りがちな維新政権の大阪府がそんな配慮するわけないという先入観で考えていたのだが、あんまり外れてはいなかったのかと思ったり。いやまあこんなことに拘るのは無粋であることは分かっていて書いてはいますが。
***
今朝は起きたら4時20分ごろだったのだが、トイレに行ってもう少しだけ寝直して、5時前には起きた。道に雪がうっすら積もっているので竹箒で掃いたのだが、8時前の今になってもまだその時の掃き跡が残っていて、寒いのだなと思う。
***
スピリッツ7号を読んだが「ダンス・ダンス・ダンスール」では潤平が生まれ変わったかのような華麗な踊り。前回までの流鶯の物語と交互なので、ブランコの教えのところからちゃんと続けて読み直したいなと思った。「ありす、宇宙までも」はNASAでのキャンプを終えて帰国。第二章にイン、という展開。さてさて。
「新九郎奔る!」はいよいよ伊豆討ち入り。堀越御所急襲の場面だが、これは第1巻第1話の冒頭の場面でもある。これは2018年に月刊スピリッツに掲載されているので、もう8年も続いているのだなと改めて思う。「俺は俺の主人になる」というのが1話の冒頭のセリフで、討ち入り前の149話だったか、頼るべき抗議が弱体化したいま、自分で伊豆を仕置きする決意を妻子に語っていたが、ようやくそれが語られるのだなと楽しみにして読んでいたけれども、その場で茶々丸を捉えるないし討ち取る予定だったのが逃げられる、という展開になりそうで、その後の将軍義澄とのやりとりがどうなるかが難しいなと思ったり。展開を待とうと思う。
***
「知性の復権」。119ページ以降、堺屋太一の遺著「三度目の日本」に基づいて議論が進められる。第二次世界大戦の敗北の遠因は、日本が産業革命には成功したものの、大量(大衆)消費市場の成立、つまり内需拡大に失敗したこと、そのために対外進出に頼らざるをえず、大陸に進出していくことになったと指摘している。これはまあなるほどと思った、というか、この時期の日本の困難を主に資源の側面で考えていたけれども、消費の側面でも弱かったというのは確かにそうだろうとは思う。ただアメリカ以外にそれに成功した国があったかというと英仏などに限られていたとは思う。ドイツもまたナチス時代になって初めてフォルクスワーゲンやアウトバーン、ラジオの普及などがあったわけだし、当時の日本でも都市では消費が盛んになってはいたが、まだ限定的だったのは確かではある。
戦後はその教訓から大衆消費社会を実現したが、そのために東京への一極集中、スーパーなどにみられる流通の無言化、小住宅持ち家主義、終身雇用制と職場単属人間化、つまりは日本全体の人間の規格化が政府によって推進された、とする。
その結果日本は「天国」になってしまい、現状維持的な夢と冒険のない社会になってしまっている。このままでは流動化が進む世界の中で日本は生き残って行けず、第3の敗戦を迎えてしまうのではないか、というわけだ。
その処方箋として堺屋が挙げているのが「更なる自由化」と「楽しい日本の復活」だそうなのだが、更なる自由化はより貧富の格差を拡大させ、より少数の勝ち組とより多数の負け組を生み出して社会を不安定化させる、という指摘を著者はしている。これはまあその通りだろう。そして思想的な意味でも自由化による超富裕層の出現とマイノリティ重視のポリコレリベラル政策は「ふつうの人々」の反発を大きく買うことになっているわけである。この辺りのところは「世界秩序が変わるとき」でも取り上げられていたが、アメリカ自体の方針がトランプ政権の誕生によって大きく変わる今こそが日本のチャンスだ、という指摘と重なってくる。
そこに起こってくるのが「保守思想の復活」ということになるわけだけれども、ここでの保守思想というのはつまり「多数の負け組」にとっても「楽しい日本」を復活させる、ということにつながるわけで、その意味で「日本人に生まれただけで価値がある」という考え方を普及させた「国学」に通じるものがあるわけである。
「近世日本の支配思想」によれば、兵営国家である近世日本の本当の支配思想は兵学であり、儒学は現実的には力を持ち得なかったが看板としてはかけられ続け、むしろ明治政府になってから影響力を強めた、ということだが、この辺りは元田永孚の明治天皇への影響力や教育勅語を通しての日本国民への影響力を考えると頷けるところはあると思った。
一方で新しい思想である蘭学と国学のうち、蘭学はエリートたちに日本を変える夢を与えたわけだけど、国学はいわば負け組の幅広い日本人たちに「日本人であることの誇り」や「日本人であることの価値」を与えたという点で大きな存在だったということで、そういう意味での現代の保守思想にかなり通じるものがあるように思った。
現代のような流動性の高い社会の中で個人主義的な自由化を進めても対立は深まるばかりだから、著者としては現代への処方箋として、明治初期の保守主義者たちのように「道徳」を処方したい、というわけだ。
この「道徳」というのはつまりは「公共心」ということだということのようだけど、まあこの辺りのところに異論はないというか、異論を唱える余地はもともと特にないだろうと思う。Twitterで行われている議論も保守主主義的な人たちが主張しているのは主に外国人やリベラルの公共心の欠如についてであるわけで、リベラルの側のマイノリティの権利拡大の主張に対しても要求するならやるべきこともやれという主張になるわけである。
考えていて思ったが、確かに保守の立場からの主張で最もリベラルが反論しにくいのは「公共心を持て」という主張だろう。著者もまた公共心を貫くことの方が人間を自由にする、と言っているが、これはつまり西洋的な意味でのリバティということである。関係性から切れることの自由ばかり重視しても「楽しい日本」は実現しないだろうという著者の主張は理解できる。
一部の勝ち組以外の人たちが望んでいるのは、公金が支給されることではなく、誰に対しても公正に扱われることだ、ということはおそらくははっきりしているので、公正に扱われるということが自分が人間として扱われている実感となってその意味での承認欲求は満たされるわけだけれども、人を公正に扱うということは自分自身の行動を粛正しなければならない、特に権力を持つ者にとってはそれは言えるわけで、リベラルや学者やマスコミがそれに相応しい行動を取ってないことが批判されるのはそういうことだろう。
高度経済成長の時代は何億という賄賂を取ったり実弾と称して数百万のお金が選挙で動いたりするのも世の中を良くするためのある意味での必要経費だとみられていたが、今では数万円の不記載がリベラルの保守政治家に対する格好の攻撃材料になっているわけで、「公正さ」に対する国民の要求が厳しくなっているのは決して政治家に対してのみではないわけである。
とりあえず136ページ第三章まで読了。これが保守主義だ!と言えるようなまとめにはなってないが、少しわかってきたことはあるかなと思った。
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