北大路魯山人と瀬戸の魅力/「緑の導火線を通って花を咲かせる力」/ビーフン/インド系のイタリア語小説/TACOとXACO/中国の移民政策の波紋/高市新総裁への期待

Posted at 25/10/14

10月14日(火)曇り

パッとしない天気の日が続く。でもそれなら草刈りでもやるか、と始めると雲が切れて直射日光が降り注ぎ、そうなると結構暑い。ただ、草を刈っているとわかるが、もう初夏の頃の勢いはない。だいぶ枯れ始めているから、今刈っておけば冬の間は持つかも、という感じがある。天気がなかなか思う感じではないし、他にやることもあるから計画的にとはいかないが、少しずつ進めたいと思う。

昨日は午前中に少し草刈りをした後で入浴し、昼食を摂って「自分を取り戻す」というテーマについて考えていて、「ずっとやりたかったことを、やりなさい。The Artists' Way」のレッスン内容などを検討したりしていたのだが、2時前に出かけた。

まず図書館へ行って牧野伸顕「松濤閑談」を返却し、その後朝新聞で見て知った「北大路魯山人展」を見にガラスの里美術館へ行った。ガラスの里は中央道の諏訪湖SAの真下あたりの諏訪湖畔にあるのだが、最近は営業日数を減らしていて、火曜水曜休みになっているので昨日行かないと木曜になるということで、急いで出かけた。入場券を買おうとするとJAF割引があるということで900円になった。最近使ってないのでどこにあるか財布の中を探したりスマホの会員証アプリも見つからなかったので割引なしでいいですと言ったら「ゆっくり探してください」というのでアプリストアからたどって見つけて提示した。財布の中のカードの会員証も後で見つかった。まあ、車に乗っていると何がいつ起こるか分からないからJAFは頼りにしているので、ないわけはないとは思っていたのだが。

展示場に入ると、魯山人の様々な器が。写真OK、SNS投稿OKとのことだったので何枚か撮影し、一部を投稿してみた。いろいろなものがあったが、私が好きだったのは「絵瀬戸満月四方向 五」というキャプションがつけられた五客の皿。少し大きめの白いスッキリとしたさらに青で大きく丸が描かれている。私は今まで「瀬戸」といわれるものにあまり個性を感じたことがなくて、黄瀬戸に関しては小さめの皿を5客買ったことはあるのだが、それ以外にはあんまり関心を持てないでいた(加藤唐九郎は瀬戸の作家なわけだが他のものの方が印象が強かった)のだが、これはいいなと思った。余計なものがなくてスッキリしている。魯山人の作陶はどうもごちゃごちゃしている印象が強かったのだが、これが本筋だとするなら、と考えてみると他の作品も違う意図があるように見えてくるし、これはいいなと思った。

「淡白ですっきりとした味」について「美味しんぼ」で解説している回があったが、まあそんな感じだと思う。他の作陶もごてごてしているように見えても料理を損なわないようにできてるんだな、という感じがわかってきた。磁器も焼けるカオリンを多く含んだ陶土がその理由なのだろうか。

土産物売り場等を一通り見て、次の目的地に行くためにナビを確かめたら湖の南岸を回るコースが出てきたのでそれで行くことに。西の街を周り、太平洋に注ぐ川の遠い始まりである水門のところの橋を渡って湖畔に近い道を通り、西大路の交差点に出るところで曲がってもう一度右折して隣町の図書館へ。ここでは昨日「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」で出てきたディラン・トマスの詩集を借りた。

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帰ってきてから引用されていた「緑の導火線を通って花を咲かせる力」を読んだのだが今ひとつピンと来なかったので原文はないかと思ってネットで探したら下のページが出てきた。

https://nambara14.exblog.jp/25300925/

こちらは原文と対訳になっていてわかりやすい。

The force that through the green fuse drives the flower
Drives my green age; that blasts the roots of trees
Is my destroyer.

緑のヒューズを通って花を咲かせるフォースが私のグリーンな年代を花開かせる。その木の根を枯らすフォースは私を破壊するものだ。

みたいな感じだろうか。forceを「力」と訳してしまうとフォースとパワーが区別できないし、その「花を開かせる力」そのものが「私を破壊する力」でもある、ということかなと思うのだが、フォースが物理的な力でパワーが潜在的な力、つまり能力みたいなものだというのは混同していたなと思った。

だからこのforce=力というのは結構直接的なものだということなんだろう。青春の闇雲な力が自分を成長もさせるが破壊もする、という感じだろうか。

だからこのforceをいかに生かしていくかが創造のためには重要だ、という話にArtisis' Wayではなっていくわけだけど、まあこれは感じはわかるなと思った。

隣町の図書館ではもう一冊、ジュンパ・ラヒリ「わたしのいるところ」を借りた。最近なんとなくフランス文学とかよりイタリア文学の方が自分が好きなんじゃないかという気がしてきていて、イタリア文学の棚からなんとなく好きな感じのものを取り出して借りたのだが、後書きを読むと作者はロンドン生まれのインド系でアメリカ在住、ローマに住んでいた時のことを懐かしんでイタリア語で書いた「小説」だとのことでへえっと思った。2018年の作品で1967年生まれだから51歳の時の作品ということになり、主人公が40代半ばの女性という設定なのもなるほどと思う。単純なイタリア小説ではないけど、主人公はローマだと思われる「生まれた街」に住んでいるので、イタリア人という設定なのだろう。色々面白いなと思う。

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その後西の街に戻ってモールへ行き、夕食の買い物など。最近なぜかビーフンを食べたいという欲望が募ってきていて、ケンミンの焼きビーフンを探したのだが見つからず、店員さんに3人くらいリレーで聞いてもらってようやく中華食材のコーナーにあることがわかった。そこも見たはずなのだが見つからなかったので、まあ聞いたのは正解だっただろう。まあ夕食は別に買ったので今日のお昼にでも作ってみようと思う。

書店を回って少し本を見たが買うものもなかったし今やってることを進めようと思って早めに帰った。

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アメリカと中国の間の関税をめぐる対立が激化したり落ち着いたり、トランプの朝令暮改で市場が振り回されている感じなのだが、このことに関してTACOという言葉が最近よく見るようになったが、どういう意味なのかと思って調べてみると「Trump Always Chickens Out(トランプ米大統領はいつもビビッて退く)」という意味だということがわかった。

https://www.nikkei.com/prime/minutes/article/DGXZQOCD118490R10C25A6000000#

つまり「100%の関税だ!」と大騒ぎして、市場は「すわ、貿易戦争か!」となるが、すぐに軟化して税率を下げたり交渉期限を伸ばしたりすることを市場関係者が揶揄して言っているのがTACO(タコ)だということがわかった。

しかし、この辺りを考えると中国側の習近平政権も似たようなものだから、それは「Xi Jinping Always Chickens Out」つまりXACO(ザコ)とも言えるわけである。日本語にしてみてもおっさんとメスガキの罵り合い(「このタコ!」「ざあこ」)みたいになるのが可笑しいなと思った。まあそのレベルで世界が引っ張り回されてるのはちょっとアレではあるのだが。

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中国関連ではもう一つ。中国ウォッチャーの福島香織さんの記事。

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/91117

中国がSTEM人材を狙ったKビザという新しいビザを出すことに対して、国内国外とも物議を醸しているとのこと。これはトランプ政権下における国外脱出するSTEM人材が目当てだと目されているようだが、実際に入ってくるのはアメリカやカナダに移民しにくくなったインド人や、中国の進出の結果中国語が堪能になったアフリカ人ばかりではないかという指摘があるようだ。中国はインドとの関係は良くないし、アフリカ人に対しては蔑視があるそうで、そういう意味でも騒ぎになっているということらしいが、中国人自体が就職難である現況において、そのライバルとなる人材を呼び集めようとしていること自体に中国の若者たちが憤慨しているということらしい。

確かにこの政策はいろいろと問題が多いと思うが、まずはデフレスパイラルに陥りつつある中国においてなかなか経済政策がうまくいっていないということが大きいのだろう。中国からは日本への移民も相当増えているし、このことが今後どう影響してくるのかは分からないが、「日本は中国の支配下に入ればいい」というような中国人が日本のテレビに出ているような現状で、中国移民に対する目はますます厳しくなるだろうから、さまざまな影響は日本でも出てくるだろうなとは思う。

(動画のリンクを貼ろうと思ったがあまりにも気分が悪いのでやめた。この動画に関して公明党の斉藤代表の見解を誰か尋ねてもらえないだろうかと思ったりした。)

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https://x.com/takaichi_sanae/status/1977578080773505414

一方、自民党の高市総裁は台湾に対して感謝のメッセージ。今日は両院議員総会で公明党の連立離脱についての経緯を説明するとのことだが、今後の連立工作についてもさまざまな意見が出るだろうと思うし、すでにきな臭い反応をしている議員もベテラン若手を問わずいるから、その辺をピシッとしてしっかり対処してもらいたいと思う。高市新総裁の当選(10月4日)後すでに10日経ったことになり、その間に公明党離脱という激震はあったがそれも含めて「女性」というだけでなく「保守」という立場に対してもどんなに「ガラスの天井」が厚いかということも改めてわかったので、ここは心してその破壊に専念してもらいたいと思っている。


高市新総裁の自民党税調改革は安倍元首相も出来なかった功績になるのでは/「頭を使う仕事の人たちの生産性を高める工夫」/近視乱視老眼/日記の面白さと「夜書く日記」と「朝書く日記」の性格の違い

Posted at 25/10/13

10月13日(月・祝 スポーツの日)曇り

昨夜は9時ごろ寝て、起きたら4時半だったので7時間半寝たことになる。割とよく寝たという感じで、感覚が結構リセットされてるのかなという気はするのだが、そうなると普段ノリで気にしないでいられる体のちょっとした痛みとかが結構気になったりして、なんというか人間の状態というのは難しいなというかめんどくさいなと思う。成長期というのは自分の弱さ、未熟さみたいなものが気になり、時にコンプレックスになるわけだけど、歳をとってくると今度は自分の衰えみたいなものも気になってくる。私などは自分の未熟さみたいなものもまだ気になる部分はあるから、まあ気になる部分が増えてきた、という感じはあるかなと思う。

こういうのは例えば視力などもそうで、私は結構近視がきついし乱視も入っているのでもともとかなり強い近視用メガネ(いわゆる牛乳瓶の底)をかけていたのだが、最近は、というかここ数年は近くを見るメガネ(つまり老顔用)も使っていて、元々が近視で乱視だからどの距離が見やすい、みたいなメガネになっている。運転の時はもっと遠くを見るので近視用眼鏡をかけるが、そちらだと近い距離がボケてしまうのでずっとはかけ続けられない。どちらも割と高くて二つとも8万円以上したと思うが、そういうわけで近視乱視老眼の三重苦だからもっと目を労るべきなのだが、スマホ時代になってちょっとした気分転換もスマホでゲーム、みたいになってしまっていてなかなか難しい。

目を使わないで済む楽しみがあればいいのだが、まあ音楽を聴くことくらいだろうか。しかし音楽を聴くのは主に運転している時だったり、何かをしているときにバックミュージック的に聴くことが多く、結局目は使っているなあと思う。もっと音楽に沈潜して聴く、みたいにすればいいということだろうか。

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渡部昇一「知的生活の方法」とか梅棹忠夫「知的生産の技術」を先駆とする「頭を使う仕事をする人たちにとっての生産性を高めるための工夫」みたいなものを昔からよく読むのだが、自分の中で一つエポックメイキングだったのはジュリア・キャメロン「ずっとやりたかったことをやりなさい(原題 The Artists Way)」で、これは自分の中の生産の工夫だけではなく、「自分がそれをやりにくくしているものは何か」をはっきりさせて、それにどう対処していくか、みたいな内容で、そういうことはこの本を読むまであまり考えたことがなかったから、かなり画期的なものに感じた。

日本ではどちらかと言えば「考えるための生産的な技術」みたいな側面の方向は結構発達していたわけだけど、それを妨害する何かをはっきりさせる、というのはあまりなかった。あったとしたら、それは仏教とか禅みたいな方向で、自分の中の煩悩がそういうものを妨げているのだという側面から、そういうものに負けない柔らかな思考と全てを引き受ける強固な覚悟を持つ、というような解決策になっていたのではないかと思う。キャメロンの方向性はそういう部分もあるようには思うが一つにはアメリカという国が日本よりもさらに社会的な拘束性の強い社会であることから、その拘束性からいかに逃れた位置を確保するか、というようなことも重要だというところからの視点が強いような気がする。

この辺りのところを今までそんなに客観的には見ていなかったので、その辺のところを検討して何か書けたらいいかなということを思っている。

今考えているのは「アウトプットとインプット」についてが一つ。アウトプットが先かインプットが先か、みたいなことで言えば、人間として日々生きている以上、常に何か考えているわけで、何か新たにやろうとするなら今考えていることを整理した上で新しいことにチャレンジした方がいいわけで、まず自分が今考えていること、感じていることをまとめてから、今度はそれを一度捨てて新しいものをインプットしていく、というような過程が必要だと思う。インプットというのは基本的には無からそれを吸収するのが最も効率が良いわけだが、そのためにはそれを理解するための基準というか手掛かりみたいなものが構築されていないとできないわけで、自分の持っている思考のためのツールを駆使してそれを理解していくことになる。だから自分が今考えていることをまとめるというのは、そのための道具を整えておくということになるわけだけど、全く新しいことに取り組む際には大体は全然道具が足りないということに気がつくことが多い。

例えば、当然ながら英語の文献を読むためには英語の読解力が必要なわけで、現代ならとりあえずは翻訳ソフトやAIを使って読むということも可能だが、細かいところを理解するためには自分自身にある程度のその言語の能力がなければきちんとは理解できない。

また数学的な内容を理解しようとするなら高校程度の数学の知識はもとよりそれに関連した数学的な知見を理解し身につけていかないといけないわけで、まずは「道具の整備」が必要になるわけである。

ただ、自分が考えていることをまとめるというのは、自分が何に関心があるのかとか何を必要と考えているのかといった「自分がそれをする理由」をはっきりはさせられるので、困難にぶつかった時に「自分はこのためにこのことに取り組んでいる」ということを確認できるということはある。そして場合によっては「この目的とこの困難を比較してそれを乗り越えるための努力はこの目的の達成によって得られるものと割に合わない」と判断して引き返す時にもそれなりに合理的あるいは客観的な理由を提供してくれるわけで、より迷わなくて済む、ということはあるわけである。

だからまずはアウトプットして、インプットは後だ、というのが知的生産のためには一つのルールかなと思っている。呼吸も、吐かなければ吸えない。これはもちろんインプットを蔑ろにして良いという意味ではなく、インプットの準備のためにアウトプットが重要だということを言っているわけである。そしてこれもまた当然ながら、この段階のアウトプットは必ずしも人に見せるものではない。自分のための準備である。

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ただ、私はこの段階のアウトプットも結構ブログ/noteに書くことは多い。というのは、私の書いているブログ/noteは半分日記の役割もあるからである。最初に日付や天候を書いているのは特にそういうことを強調したいということでもある。

もちろん本来日記というものは人に公開するものではないが、古来日記が一つの読み物として親しまれ、またあるいは古事類苑の縁として頼りにされてきたという伝統もあり、またネットが盛んになった1990年台の終わり頃から「web日記」というジャンルが日本のインターネット回で結構盛んになって、さまざまな日記を読む機会が増え、また自分でも書くようになったということもある。

日記の面白さというのは自分と違う人間がどういうことをどういうことに対して感じているのか、ということを一つの明確なテーマというよりは断片的な記述の中に感じられることが面白いということもあり、こんンな風に感じる人もいるのだな、とかあるいはその人が参加したイベントや訪問した飲食店などに興味を持つきっかけになったりするということもある。後になるに従ってそういう日記やブログみたいなものも有名人のものが注目されるようになり、一般人が書くものはあまり話題にならなくなったが、2000年台にはむしろ本当に一般の人が書いている日記がよく読まれていて、そういう伝統は今でもnoteなどの形で残っているところはあると思う。

だから私がここに書く文章は新しい情報を伝えたり一定の主張を持って自分なりの意見について読んでもらうために書いている部分と、自分が感じたこと(の一部)を一応は読める形にして何かの参考になると良いなという程度で書いている日記の部分があるわけである。もちろん意見などについても草稿的な段階で書いていることも結構あるので、後で考え方が変わる場合もある。

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後もう一つだけこの件について書いておくと、私は今そういう「頭の中を整理するための日記」を朝に書いているわけだが、古来日記は1日の終わり、つまり夜に書くものという考え方があり、どちらが良いかという問題がある。

私は子供の頃の日記は夜に書くものという観念に引きずられて夜に書こうとしていたが、大体挫折して三日坊主になる、というパターンを繰り返していた。今私はこのnoteの毎日更新がおそらく3年は超えていると思うから、なぜそれが続くかといえば、読んでもらえるということもあるが朝書いているということが大きいようには思う。夜は大体眠いし頭が働かないということもあるが、いろいろなことを思いつくのが朝だ、ということもある。そういう意味で言えば、創造的な方向で、前向きな方向で、発想的な方向で日記を書こうと思うなら朝書いた方がいい、ということにはなると思う。少なくとも私にとってはそうである。

しかし古来日記というものは夜書くものであり、「原敬日記」なども夜にその日に起こったこと、その日にあった人とのやりとりなどをまとめて書いていたようで、「その日にあったことを書く」というのが日記の基本という意味では、「起こったことの続きの時間帯」つまり「寝る前」に書く、というのはそれなりに意味があると思う。

逆に言えば、そういう「夜に書く日記」というのはそういう創造性や発想を求めて書くものではなく、その日にあったことを振り返ってある意味反省的に書く、ということなのだと思う。これは寝る前にある程度自分の中のモヤモヤを吐き出して整理してから寝る、という意味でとても建設的だと思うのだが、日中に何もやっていなければ書くことがないし、フルに働いていたら疲れていて書く余裕がないということになるわけで、(だいたい飲んで帰った日に日記を書いてから寝るというのはちょっと難しい)なかなかこれはかなりの勤勉さがないと難しい気はする。

これはある意味「吐き出す快感」みたいなものとも関わりがあるのだけど、朝起きてから昨日のことを思い出してああだったこうだった、と吐き出していくのはある程度快感が伴う。夜のうちには同じことをしても何か気持ち悪い感じが残る。これはなぜかというと、寝る前の時点でのその日の経験というものはまだ「ナマ」の状態であって、それを書くことによってその生々しさに触れてしまうことが気持ち悪い理由なのだと思う。逆に言えば、その生々しさを書くことに「夜に書く日記」の意味があるとも言えるわけだけど。

しかし朝起きてから昨日のことを思い出して書くのは、ある程度はその経験が消化されているので、生々しさが減っている。記憶もある程度は自分なりの解釈が加わって、ある程度加工された状態になっているから書き出していても気持ちが悪くない。そういう意味では読む方にとっては「つまらない」ものになる可能性はあるが、「読みやすく」はあるだろう。そのように考えてみると、その日のうちに書く日記には「生々しさ」が残っていてそういう意味での面白さは読む側も感じる可能性はあるが、ある意味エグ味があって「読みにくい」ものである可能性はある。私小説的な作家になることを目指して日記を書くなら夜のうちに書く習慣をつけておいた方がいいかもしれないとは思う。

もう一つ、一般には朝は慌ただしいから書けない、という人が多いのだと思うのだが、その上で書くためには「早く起きる」ことが必須にはなるだろう。私は大体4時台に起きることが多いから朝の時間はある程度あるが、それでも母を午前中病院に連れていく日などはタイムリミットが近いから結構駆け足にはなる。夜は仕事が終わるのが遅いから体力的にも難しいということになり、それならちゃんと寝て朝書こうという形でこういう形に定着しているということ、つまりある程度物理的理由もあることはある。

しかし、ネット上の日記程度のものであっても一定のものを作ろうとするならある程度時間が必要なことは明らかなので、どこが一番取り組みやすいか、どの時間なら(気力や体力、集中力も含め)確保できるのかは考えないといけないことだろう。

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連休中は噴飯物の野党側の多数派工作がいろいろマスコミを賑わせているが、基本的にそんなことは起こらないだろうと思う。より重要なのは自民党の高市新総裁が自民党税調の改革を発言したことではないか。

https://x.com/takaichi_sanae/status/1977290435468128624

自民党税務調査会は当然ながら政務調査会の下の組織であるわけだが、高市氏が政調会長をやった2021年には「税調会長は総裁人事」という位置付けになっていたとのこと。今回はそれを少しいじって、小林政調会長に人選を依頼して高市総裁が了承するという形にしたとのこと。その結果が政調会長経験者の小野寺さんになったということで、これは期待できるかなと思う。

今までの税調の委員は財務省出身の税の専門家だけで形成されていたそうで、「インナー」という隠語があったが、要はその内側に入れるか否かというのが厚い壁になっていたというわけである。高市さんはそこに手をつけて、党側は「税制によって達成したい目標」を定め、その制度設計は財務省の役人がする、という形に改めたいということで、これは他の政務調査会の部会と同じ程度の関与にしたいということだろうと思う。

税調は今まで特に石破政権における宮沢税調会長に見られるように国民民主党との改革の約束を反故にできるほどの「権力の本丸」と見做されてきたわけで、ここに手を入れるというのはまさに「今までの自民党」の「解党的出直し」と言って良いのだろうと思う。ここに手をつけるためには自ら総裁になるしかなかったわけだし、だからこそ高市総裁の就任に旧勢力が大反対してきたのだと思うが、ようやくこれで国民のための改革の第一歩が始まるという感じがするので、この動きは歓迎したいと思う。

まあそれでも財務省内部はまだまだ伏魔殿だと思われるし、これからも困難な場面はあると思うが、周囲の雑音に惑わされずに改革を一歩一歩進めてもらいたい。

多分これはうまくいけば、安倍元首相にもできなかった改革になると思う。頑張ってもらいたい。


「公明党連立離脱」の激震と「お題目で言ってるんでしょう」の冷笑主義:「ガラスの天井」打破に正念場が続く高市総裁/「ふつうの軽音部」83話:「恋する自分」のキモさに対する陽キャと陰キャの見方の違い

Posted at 25/10/12

10月12日(日)晴れ

昨日は割と仕事は忙しく、終わった後帰ってきてブラタモリを見ながら夕食を食べ、なんとなく神経が昂っていて眠る気にならずネットなど見ていたら12時になったので、いいかと思って「ふつうの軽音部」の更新を読んだら、面白くて感想など読みまくり、いい加減にしないとと思って寝たのが1時半になっていた。寝床に入っても寝付けずいつの間にか意識は無くなっていたが起きたらもう明るくなっていて、下に降りて時計を見たら6時半だった。この時間だとかなり寝坊感があるが、まあ5時間は眠れなくても寝床にいないとなあとは思う。

公明党の連立離脱から一夜明けて、公明党の斉藤代表にメディアからずいぶんお座敷がかかり、そこら中で話をしているが、雰囲気としては「われわれの誘導をかわして自民党に総裁に当選しやがった生意気な若い女である高市早苗に一杯食わしてやったヒーロー公明党」みたいな感じで遇しているのが多く全くこれだからオールドメディアと言われるんだよという感じである。高市さんの方は議員宿舎にこもって対応を検討しているということのようだが、14日に自民党の両院議員総会があるようなのでそこでどのように説明するか、また自民党の議員からどういう意見が出るか、どのように収拾を図るかがまずは課題ということかなと思う。もちろん連立工作も進めるだろうが、この状況では各党もより慎重にはなるだろうが、連立はともかく国民と維新の閣外協力くらいは取れそうだから、とりあえず高市政権の成立はなんとかなるだろうと思う。

公明党もいろいろふらついていて煮え切らないところがあり、公明党に土下座せんばかりに「考え直してくれ」と言っている帰化議員もいればわが県下では「公明党との協力は続ける」と公言する石破政権の重鎮もいる。公明票がなければ当選が危うい、と口にする若手議員もいるが、そういうものがなくても当選するだけの支持と体力をつけるのが本来なので、普通に考えればそこは頑張ってもらいたいと思うが、自民党内をちゃんと高市さんがまとめられるかがまずは正念場かなとは思う。

公明党の動きも割と女々しいというか、斉藤代表も次の次の総裁選の後くらいには連立に復帰するかも、みたいなことを言っていて、かなりいうことに矛盾があるのだが、つまりは政権参加の旨みは捨てたくはないのだけど「「高市さんだから」連立を離脱する」ということを遠回しに言って、だから自民党の左派の人達よ怒らないでくれ、みたいな感じになっているのだけど、そんなことで通用するともし思っているのならちょっとどうかしていると思う。今のところはメディアも「高市の鼻を明かした英雄」として持ち上げているが、そのうち冷静な意見が出てくれば「統一教会の次は創価学会だ」にならない保証はどこにもないわけで、持ち上げられたピエロに過ぎないという感じもしなくはない。

イソップ童話の「欲張りな犬」のように、「高市いじめもしたいが政権も捨てがたいからとりあえず受けそうなことをやる」みたいな欲をかくと全て失うことになる、というようなことを宗教政党に対していうのもどうかと思うが、私も実家の宗旨は日蓮宗なので、日蓮上人なら今の公明党の体たらくをどう見るかな、と思うところはある。

この政変劇の背後にいるのは創価学会、その幹部、またその婦人部、中国の意向などいろいろあると思うのだが、昨日も書いたようにさまざまな思惑が交錯して形としてこういうことになったけれども態度として全然守備一貫性がない。立憲民主党に対し野党の国対の会議に参加させて欲しいと言いながら、まだ中野国交大臣は辞表を出していないし、各省の副大臣や政務官も辞任したという話は聞かない。また立憲から首班指名では野党統一候補に投票してほしいと言われても連立与党の歴史があるから党員の気持ちとしてそれはできないとか、本当に終始ぐずぐず言っていて、離縁状を叩きつけたんだからしゃんとしろよと言いたいところだが、全くふにゃふにゃしていてこれが今まで連立与党として日本の政治を担っていたのかと思うとがっかりする感じである。

野党の側も数合わせだけで高市氏を首相にしないという立憲の「玉木首相提案」などは全く真面目に考えているとは思えず、首班指名だけとってあとはそれから考えようという不真面目なことを言っているから、そんなものに乗ったら他の各党も終わりだし、立憲が今どんなに終わっている存在なのかということもよくわかる。

https://x.com/kanta13jp1/status/1976257648635834704

仮にも野党第一党が、他党の主張を「お題目で言ってるんでしょう」というのは完全に冷笑主義で、自分たちの主張に対しても全く責任を持たない政党なんだなという印象しかない。こんな政党に投票してきた人たちにも見識が問われると思うが、本人は全く自覚がないようなのも救い難い。

主義主張が違うとわかっている国民民主党の玉木さんを担ぎ上げるというのも、一応両者とも連合の支援を受けているという共通点はあるにしても無理矢理感が否めないわけで、これは誰が企んだのかはわからないが、「生意気な玉木代表を褒め殺し・位打ちにして破滅させてやれ」という暗い欲望が現れたようにしか見えないわけである。

「位打ち」というのは朝廷で貴族間の争いで行われた手法の一つで、まだ若くて経験もなく、また後ろ盾が少ない立場の人間が頭角を表してきたときに、その実力に不似合いな官位を与えてその動きを縛る、というものである。源頼朝が後白河法皇の指導下の朝廷において高い位を与えられコントロールされるのを避けて京都でなく鎌倉を本拠にし、また上京の際に高い官職を与えられてもすぐにそれを辞していたのもそれがわかっていたからである。逆に源実朝は父も受けなかった右大臣の官職を進んで受けたが、それもまた暗殺につながったのではないかと思われる。

数十人規模の政党である国民民主党の代表が首相になったところで他の政党に忖度しなければならないことばかりで何もできないまま退陣になり、結果として党勢を大きく損なってしまうのはすでに非自民非共産連立政権の日本新党の細川護煕内閣や自社さ政権の村山富市内閣など先例があるわけで、玉木代表もそんなものには乗れないというのはわかっていて仕掛けているわけで、高市新総裁の自民との連立・協力の可能性が一番高い党としてターゲットにされているのは見え見えである。

また学者の中には自民党は総理総裁を分離して石破首相・高市総裁でしばらく行けとか、野党は石破首相を担いで自民党の分断を狙えとか、「民意の発現としての選挙結果」を無視し、政局を玩具にしようとする知能も倫理も低いのではないかと思うような仕掛けを主張する人たちがいることにはがっかりさせられる。まあこうした一連の動きもまた政治家や学者連のまとも度を図るためのリトマス試験紙になっていると考えれば良いのではないかということもあるのだが。

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https://shonenjumpplus.com/episode/17107094911042828746

「ふつうの軽音部」83話「恋バナをする」、面白かった。(以下全体的にネタバレなので避けたい方はリンクから今話を先に読んでいただければと思います)

主人公・鳩野ちひろの軽音部の中での割と近い友達である大道さんのバンドのベース、古旗柚葉がわかる形で最初に出てきたのは番外編だったので、このキャラクターはエピソード要因なのかなと思っていたのだが、「軽音部の中でのカップル成立や破綻を予想するカップリングダービー」というエグい趣味を持っていて、しかも今回はその趣味友達に「A.Tさん」、明らかに鶴先輩が加わっているという不穏な情勢から始まっていたのだが、図書委員の集まりで来たのが鳩野・彩目・鶴の3人というなんというかあぶなげな組み合わせになり、仕事を終えた後で恋バナが始まるのだが、彩目はもともと鶴のことを同中なので中学の時から敬遠していて、この2人のやりとりがかなり笑った。

恋バナの中でいきなり鶴先輩がカップリングダービーの話を2人にバラしてしまい、「おぼこい顔して古旗さん趣味エグっ!」と引くのだが、「おぼこ」とはもともと「未通女」と書き、つまり処女のことを指しているわけで、「初めは処女のごとく」というのと同じような意味である。感想欄を見ていたらこの言葉を知らない人が多くてへえっと思ったが、別に方言でもなくふつうに使われる日本語である。

自分が水尾に恋してしまったことを自覚している鳩野はこの話題は嫌だなと思って部活に行こうと言い出すのだが、図書室の外に出たところでばったりと水尾と出会ってしまう。

美化委員の水尾が「俺が一番たくさんゴミ拾った」とよくわからないアピールをしてくるので鳩野の方もつい「本のPOP作りしたけど私まあまあ本読むから楽勝」みたいな「私本読むんだよアピール」をしてしまい、そうした「鳩野らしく」ない男子への態度に対して彩目も古旗も「察して」しまい、彩目に至ってはヨンスが厘に対して「音楽に詳しい」アピールをするキモさに共通するものを見出していて笑ってしまった。(鶴はすでにハロウィンライブの時に鳩野の恋心を見抜いていた・どんなバケモンか)

古旗は俄然色めきだち、「全然ノーマークだった(カップリングダービー的に)」と話を聞き出したがるのだが、鶴が「私が奢るから部活終わったあとこの4人でご飯しよ」と鶴の一言で運命が決まる。

で、水尾への想いを聞き出される鳩野は「自意識アニマル」を肩に乗せて「一思いに殺してほしい」と言い出すわけだが、「イケメン苦手だったけどハロウィンライブが刺さって憧れかと思ったら話す機会があって話してみたらふつうの男子だとわかって」と経緯を説明するが、「それで?」と言われて「彩目ちゃんこれ(フォーク)を思い切り私の心臓にブッ刺してくれない?」と怖いことを言い出すのもウケた。

「ふつうにめっちゃ恋やん」とキュンキュンして盛り上がる古旗と鶴に対し、「恋している自分」というものを「キモい」としか受け取れない鳩野はまた「殺して〜!!」と叫ぶ。

この辺り、「恋している自分はキモい」という感覚がよくわからずにいたのだが、感想を読むと賛同する意見が多数で、「恋する自分」を「いいもの」と見做すのが陽キャの感覚であり、「キモい、みっともない、恥ずかしい」と見做すのが陰キャの感覚だ、という指摘があって、ちょっと目から鱗が落ちた思いがした。

自分が恋愛しているときにそんなことを敢えて思ったことはないのだけど、大体そういう時は調子に乗っているわけで、周りが見えなくなっていることは確かである。今思い返しても恥ずかしい失敗や人間関係の毀損などはたくさんあるし、大きくみて恥ずかしい状態であることはまあ間違いないと言っていいだろう。でもまあそれは恋するというのはそういうことだから仕方がない、と思えるのが「陽キャ」だ、というのが「陰キャ」の側の主張なのだなということはよく理解できたので、なるほどと深く納得するところがった。こういう時の感覚をこの歳になって改めて理解する機会を提供してくれるというのは、本当にこのマンガの人間観察はすごいなと改めて思ったわけである。

彩目は話を聞いて自分や他のバンドメンバーはともかくまさか鳩野が恋愛を、と意外に思うと共に水尾は案外いいんじゃないかと思って「別に水尾を好きになってもええやろ」と肯定するが、鳩野は「打倒プロトコルを誓ったのに」とか少年マンガみたいな(少年マンガなのだが)ことを言い出し、他のメンバーはどう思うかな、という話になったときに「2人の反応をシュミレートしてみようよ」と鶴先輩がキラキラお目目でいうのが笑うのだが、それに彩目が「話無理矢理入ってこんでいいですよ」と牽制するのも可笑しかった。

2人にすぐ伝えなきゃ、という鳩野だが彩目は「別にどっちでもええんちゃう?」といい、ふつうの女子グループだったらそうかもしれないけど自分たちはそんなヌルい関係じゃなくて、そんなことで揉めるようなバンドなら自分は入ってないし、「仲良しじゃなくてかっこいいバンドを組みたいってお前が言ったんやぞ鳩野」というのは実にかっこよかった。

それを聞いて鳩野も落ち着いて「2人にはおりを見て話すね」と言い、古旗と鶴も「青春・・・」となるわけである。彩目は「私は一年女子にバチくそ嫌われとる」と文化祭ライブの時にモノローグがあり、確かに今回の図書室に入ってきたときの古旗の反応はあまり良いものではなかったが、今回の恋バナと「彩目と鳩野のバンドにかける思い」を知って、だいぶ仲良くなれそうな感じになったのは良いなと思った。

最後の1ページは翌日の鳩野と桃の「バンドTを作ろう!」という話の前振りになっていて、次週休載ということもありここで一段落という感じなのだが、今回は非常に充実していたし、「恋愛している時の本人たちと周囲」の関係について考える機会にもなった。考えてみると鳩野は第6話のたまきとの話や第9話の桃がらみの話の時にも「軽音部の内部恋愛とそれによる軋轢」についてすごく否定的に見ている描写があったのだが、これは彼女が音楽に対してストイックであるがゆえに俗っぽいことを嫌っているんだと思っていたけれども、陰キャ視点の「恋をして舞い上がってる連中はカッコ悪い。恋などしない(できない)自分たちの方がクール」という屈折した視点もあるのかなと改めて思った。

まあそれを考えると鳩野が「自分が否定してきた部内恋愛を自分がしてしまっている」ということに激しい羞恥を感じてむしろ罪悪なんじゃないか死んだ方がいいんじゃないかと思ってしまっていることもわからないではないなと思ったのだった。

公明党の連立離脱:公明党・創価学会の権力構造と公明党が浸透した国土交通行政・福祉・教育イデオロギーの今後/石破首相戦後80年所感:政治の実感が感じられない書生論

Posted at 25/10/11

10月11日(土)雨

今日は起きたら6時で少し寝坊した。6時半ごろ車で出かけて職場で少し用事をし、隣町までは知ってガソリンを入れる。アプリでの値引きが廃止になる、と張り紙があって意味がよくわからなかったが、その後併設のセブンで買い物したら「アプリ廃止になるので」と7円引きのチケットをくれたのでなるほどと。まあ11月まではこのチケットで割引が使えるようだけど、その後はどうなるのだろう。

丘の上まで車で走ってデイリーで塩パンを買い、まっすぐ帰る。帰着したら7時20分過ぎ、まあ時間も遅かったしこんなものかと思ったり。

***

昨日の大きなニュースはまあ二つと言っていいか。一つは公明党の連立離脱の発表。もう一つは石破首相の戦後80年談話、これは書簡という形らしい。それぞれについて少し書いてみたい。

公明党の離脱については、昨日からいろいろ考えているのだけど、やはり双方にとってある程度の既定路線であったのではないかという気がする。自民党側としては公明票が選挙で入らなくなるのは痛い、という声はそれなりに聞こえてくるが、まあそんなものに頼って下駄を履かせてもらっているからしっかりした地盤を築けないんだよ、ということもあるから、これは新人議員をはじめ自民党の各候補者たちに頑張ってもらうのが筋だと思う。逆に公明党とは路線が異なるしっかりした識見を持った候補者たちが公明党に配慮して言いたいことも言えない、という状況は無くなるわけで、参政党に脅かされずに自分たちの主張を主張できるのは良いことだと思う。

公明党側から見ると、この動画が面白かった。

https://x.com/tweet_tokyo_web/status/1976635804006187478

創価学会・公明党内部の権力構造はなかなか表に出てこないわけだが、トップの方には創価大閥と東大・早大閥があるのだという。自公連立は東大閥が主導してきたが、今回は創価大閥の巻き返しだとのことらしい。こちらは一般の会員や婦人部の意見を背景にしているということなので、想像すると安全保障についてはお花畑的な空想平和主義、年齢階層としては高齢のご婦人たちということなのだろう。公明党の先祖返り現象とでも言えばいいのだろうか。

これらの分裂が起こったのは2015年の安保法制の時だということで、現実問題として平和を守るために安保法制が必要だという意見に同調した東大閥に対し、一般の会員たちの間からは反対運動が起こって、かなり揉めたのだという。まあ素朴で情念的な平和主義は左翼だけでなく創価学会の会員たちの間にも広くあるとは思っていたが、今回はその反発が抑えきれなくなったということかなと思う。

斉藤代表は東工大卒なのでどちらの閥かは難しいということなのだろうが、今の国交大臣の中野洋昌氏は2001年東大教養学部卒の国交官僚。ただ関西創価小中高を出ている。公明党が国交大臣を取るのは2004年の小泉改造内閣の北側氏以降なので国交大臣の椅子を目指しての入省ということはないだろうけど、将来への布石ではあったのかもしれない。法学部卒でなく教養学部卒ということで、国際関係論系なのか社会学系なのかがわからないのだけど、ちょっといろいろ考えてしまうところはある。

公明党が国交大臣ポストにあったのは2004年(小泉改造内閣)から2008年(福田康夫内閣)までと2012年の第二次安倍内閣以降。その後ほぼ13年間国交相公明党独占状態が続いたわけで、今回それが解消されたのは国交省全体にとってもある意味「正常化」ではあるようには思う。

公明党関係では国交省以外にも福祉関係への食い込みもあるわけだが、厚生労働副大臣は森内閣以降ほぼ2人の副大臣のうち1人は公明党議員がなっている。現在の鰐淵洋子氏は創価女子短大卒。

また、鰐淵氏は菅内閣・岸田内閣で文部大臣政務官も務めていて、文部省系にも公明党は進出している。国交利権と福祉利権、それに文部省という「国民的イデオロギーの製造装置」でもある学校教育系への進出が公明党の戦略だったということなのだろう。ジェンダー教育などが行われるようになったのも、公明党の進出と無縁ではないように思う。

そういう意味で、こういうものが一掃されるというのは意味のないことではないと思う。

学校現場においても、共産党系だけでなく公明党系の政治家が学校現場に介入して来ることはままあったらしく、「問題教師」にしても「彼女がクビにならないのは公明党がバックにいるかららしい」みたいな話がまことしやかに流れたりしていた。こういうのは現場から出て来ることは以前はほとんどなかったが、SNS時代になるとそれなりに出て来るようにはなるだろう。まあほとんどは真偽不明ではあるのだが。

実際問題として次の政権がどういう連立で誰が総理大臣になるのかやや混沌とはしてきているが、立憲を中心とした野合で首班指名を取れたところで、まともな政府が成立するはずがなく、公明党も野党党首の名前を書くことはないと明言しているので最終的には高市さんでまとまるだろうとは思う。国会では滑り出しでガソリン税率などの問題はスムーズに進むだろうからその後の補正予算審議などが問題になるだろうとは思うけれども、年末までには総選挙もあるかもしれない。まだ高市支持は高いと思うので勢いのあるうちに、ということはあるだろうけど、政界あるあるの魑魅魍魎が跋扈しはじめたので何がどう転ぶかはまだよくわからない。ただ、国民世論は案外単純なのではないかという気もしている。

***

石破首相の戦後80年所感。

https://www.sankei.com/article/20251010-HKZGEDPN2JLYFPKT6ZQSVR4OJM/

内容はざっとしか読んでいないのだけど、いくつか思ったことを。

まず、基本的にこれは読書人の文体であって政治家の文体ではない。いろいろ本を読んで自分の考えをまとめたという感じで、政治の現場にいた人の息遣いが感じられるようなものではなく、これを政治家・日本の首相という立場の人が出すのがどういう意味があるのか全く不明だと思った。

もう一つは、国内のことについてのみ検討しているということ。戦争というのは相手のあることであり、相手とのケミストリーが合わなかった、というようなことで協調が対立に変わるのは今回の公明党離脱を見ていてもよくわかることだろう。日本側の内部のもんだについてばかり強調していて、中国の分裂した情勢や蒋介石政権や共産党の動きなどにも触れてないし、またアメリカの排日移民法やルーズベルトの反日思想などにも触れていない。かなり古いレベルの教養に基づいたものであるように思う。

もちろん、相手国の内政の歴史について総理大臣が触れることは失礼なことだし、称賛でなく批判するとしたら喧嘩を売っていることになるから、そんなものには触れないのが政治家の発言というものだが、中国やアメリカは戦争の勝者であるという立場から日本を批判して来るわけで、そういうものをかわして未来思考の関係を主張するのが我が国の政治家としての矜持だと思う。安倍談話はその点よくできていた。

また内容にしても専門用語が多用され、石破氏本人のインテリジェンスは十分ひけらかされているとは思うが、そのインテリジェンスをなぜ首脳同士の交流の時などに生かさなかったのだろうか。トランプに対しては無理かもしれないがヨーロッパ諸国の首脳との交流ならそれなりに評価された可能性もなくはないだろうとは思う。

ただ、要は書生の議論という感を免れない。左派の人々はよくわからない感激を見せているが、内容的にもありきたりのものだしそんなに深いもののようには思えない。公明党連立離脱という激震の中でこれを現職の総理大臣が発表する意味がどれくらいあったのだろうか。

https://www.sankei.com/article/20251011-Y6DSBVFHEVLOTBMJ57AE64WVDY/

今産経新聞の社説を読んだがほぼ同じ感想なのでちょっと笑ってしまった。とにかく、石破首相の文章には政治は生き物だという政治家の実感がまるで表現されていない。公明党の連立離脱劇などという生々しい政治が展開しているその夜だから、そういう感がますますする。逆に言えばその生々しさに耐えられない人たちにとっては一服の清涼剤として過大評価される可能性もあるとは思うのだが。

より客観的な評価がもう少し出て来たらまた検討しても良いかもしれないとは思っている。

***

今日はずっと雨っぽい。草刈りなどしようという気持ちもあったが、また今度かな。


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